【追悼】板東英二さんを偲んで――「怪物」投手からお茶の間の人気者、そして波瀾万丈の生涯に寄せて
元プロ野球選手であり、タレントや俳優として昭和・平成のお茶の間を大いに沸かせた板東英二さんが、慢性心不全のため亡くなられました。享年86。
訃報に接したとき、胸に迫る寂しさと同時に、私の脳裏にはいくつもの「板東英二」の姿がめまぐるしく駆け巡りました。甲子園ののマウンドで泥だらけになって力投する若き日の投手像。バラエティ番組で「ゆでたまご」の愛好家として笑いを取り、軽妙な関西弁でお茶の間を沸かせていた司会者の姿。そして、日本アカデミー賞を受賞するほどの凄みを見せた俳優としての鋭い眼光。
これほどまでに多彩で、これほどまでに人間臭く、そして波瀾万丈な人生を歩んだ人物がほかにいたでしょうか。アスリートとしての絶対的な実績と、タレントとしての爆発的な人気。その2つの頂点を極めながらも、晩年は世間を騒がせるトラブルに見舞われ、静かに表舞台を去っていったその足跡を振り返り、追悼の意を表したいと思います。
一、高校野球の伝説、そしてプロへ――「アスリート・板東英二」の圧倒的実績
多くの若者や平成生まれの人々にとって、板東さんは「面白いおじさん」「クイズ番組の司会者」として認識されていたかもしれません。しかし、彼がスポーツ界に残した足跡は、日本野球史に永遠に刻まれるレベルの圧倒的なものでした。
板東さんの名が日本中に響き渡ったのは、1958(昭和33)年、徳島商業高校のエースとして出場した第40回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)です。
この大会で板東さんが打ち立てた記録の数々は、まさに伝説と呼ぶにふさわしいものでした。準々決勝の魚津高校(富山)戦で見せた、延長18回をひとりで投げ抜く死闘(結果は0-0の引き分け、翌日の再試合で完投勝利)。そして、この大会で彼が奪った三振の数はなんと「83」。
この「一大会通算83奪三振」という記録は、松坂大輔投手や田中将大投手、大谷翔平選手といった後世の名投手たちですら破ることができず、今なお甲子園の最高記録として輝き続けています。力強い快速球と鋭いドロップを武器に、一人でマウンドを守り抜いたその姿は、まさに甲子園の「元祖・怪物」でした。
プロ入り後も、中日ドラゴンズの主力投手として活躍。リリーフ(救援投手)という概念がまだ確立されていなかった時代に、実質的なストッパー兼先発として馬車馬のごとく投げ抜きました。プロ通算11年間で打ち立てた成績は、77勝65敗、防御率2.45。当時の巨人の大スター・王貞治さんとの対戦成績を通算打率2割割れ近くに抑え込むなど、記憶にも記録にも残る一流のプロ野球選手だったのです。
怪我のために29歳という若さで現役を引退することとなりましたが、もし彼が野球だけに人生を捧げ続けていたとしても、日本野球界の名球会や殿堂入りに名を連ねる名選手として語り継がれていたことは間違いありません。
二、喋りと演技で天下を取った――「マルチタレント・板東英二」の栄華
しかし、板東英二という人間の凄みは、現役引退後の「第二の人生」にこそありました。
プロ野球界を去った板東さんは、野球解説者としてのキャリアをスタートさせます。しかし、従来の型にはまった技術論だけでなく、持ち前の関西弁と軽妙なトーク、そして人間味溢れる語り口で一躍人気を集めました。
そして80年代から90年代にかけて、彼はタレント・司会者・俳優として黄金期を迎えます。
テレビをつければ、そこに板東さんの顔がありました。 『世界ふしぎ発見!』での名解答者ぶりや、『マジカル頭脳パワー!!』での司会進行。司会者としての板東さんは、共演者の魅力を引き出す絶妙なイジりと、テンポの良いトークで番組を爆発的なヒットへと導きました。
また、彼のトレードマークとなった「大のゆでたまご好き」というキャラクターも、日本中に親しまれました。「1日に何個も食べる」「板東英二=ゆでたまご」というパブリックイメージは、彼自身の親しみやすいキャラクターと相まって、子供からお年寄りまで広く愛された理由の一つです。
さらに特筆すべきは、俳優としての圧倒的な才能です。 TBSドラマ『金曜日の妻たちへ』シリーズでの存在感、そして1989年の映画『あ・うん』では、主演の織田作之助賞級の演技を見せ、第13回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。野球選手出身のタレントが、本格派の映画賞で最高峰の評価を受けるという快挙は、後にも先にも例を見ません。
スポーツと芸能。全く異なる2つのフィールドで、これほどの頂点を極めた人物は、日本のエンターテインメント史を見渡しても板東英二さんただ一人と言っても過言ではないでしょう。
三、お金への執着と晩年の悲劇――「去り際の寂しさ」を想う
しかし、光が強ければ強いほど、その影もまた濃くなるのが人生の皮肉です。
プロ野球選手時代から「お金」に対する強い執着を隠さず、バラエティ番組でも「お金が大好き」「ケチ」であることをネタにして笑いを取っていた板東さんでしたが、そのお金に対する執念が、晩年の彼の運命を大きく狂わせることになってしまいました。
2012年末、個人事務所の申告漏れと所得隠し(いわゆる脱税問題)が発覚。かつて自身が受給していた植毛手術の費用を「経費」として落としていたことなどが公になり、世間からの厳しい批判を浴びることとなりました。
謝罪会見での釈明も世間の納得を得ることは難しく、長年レギュラーを務めていた番組をすべて降板。一度は芸能界復帰を試みたものの、かつてのような輝きや軽妙なトークのキレを取り戻すことはできず、徐々にメディア露出は減っていきました。
さらに、晩年は事務所の解散や体調不良、孤立状態などが週刊誌等で報じられるようになり、かつてお茶の間の主役だった男が、世間から忘れ去られるようにして静かに姿を消していくプロセスは、ファンにとってあまりにも切なく、寂しいものでした。
あの甲子園で83個の三振を奪い、満員のスタンドを湧かせた英雄。 毎週高視聴率を叩き出し、お茶の間に笑いを届けていたスター。
その晩年が、このようなトラブルと孤独な影に覆われてしまったことは、一つの時代の終わりを感じさせると同時に、人間の業(ごう)や虚しさを抱かせずにはいられません。あのギラギラとしたエネルギーを持っていた人物が、最後はひっそりと静かに世を去っていったという事実に、胸が締め付けられるような切なさを覚えます。
おわりに――波瀾万丈の「板東英二」という生き様に感謝を
晩年の問題や淋しい去り際があったことは否定できません。しかし、だからといって彼が昭和から平成という時代に遺した偉大な実績や、私たちに届けてくれた数々の笑いと感動が消えてなくなるわけではありません。
甲子園の歴史に刻まれた83奪三振の輝き。 プロ野球での気迫のこもったピッチング。 テレビの画面越しに私たちを笑わせてくれた数々の名シーン。 スクリーンで見せた、胸を打つような名演技。
板東英二さんは、自らの才能とエネルギーのすべてを使い切り、波瀾万丈の人生を文字通り「全力投球」で駆け抜けました。
お金に執着し、トラブルを起こし、最後は寂しさを漂わせながら去っていった姿も含めて、どこか憎めない、極めて人間臭い人物だったと感じます。
栄光も挫折も、光も影も、すべてを飲み込んで生き切った板東英二さん。 昭和・平成のお茶の間を明るく彩ってくださったことに、心からの感謝を捧げたいと思います。
天国では、どうかお金の心配も世間の目も気にすることなく、大好きな「ゆでたまご」を胸張って味わいながら、ゆっくりとお休みください。
日本の野球界と芸能界に巨大な足跡を残した唯一無二のスター、板東英二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
