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芸能

【Yes!の裏にある真実】高須克弥はなぜ“お騒がせタレント”になったのか?「美容整形のパイオニア」が命を懸けて闘った、日陰の医療を日向へ変えるための40年

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テレビをつければ「Yes, 高須クリニック!」と満面の笑みでヘリコプターから降り立ち、SNSを見れば私生活や破天荒な発言で毎日のようにトレンドを賑わせる――。

多くの人が抱く「高須クリニック」の院長・高須克弥氏(81)のイメージは、おそらく「とにかく目立ちたがり屋で、お金持ちのファンキーなおじいちゃん医師」といったものではないでしょうか。芸能界の著名人たちと浮名を流し、自らバラエティ番組に飛び込んでいくその姿は、一見すると本業そっちのけでタレント活動を楽しんでいるようにも映ります。

しかし、私たちは彼の「ピエロの仮面」に騙されているのかもしれません。

高須院長が自ら広告塔となり、時に世間から叩かれながらもメディアの最前線に立ち続けてきた理由。それは単なる自己顕示欲や、自院の利益のためだけではありませんでした。そこには、かつて「裏稼業」と蔑まれていた美容医療の社会的地位を向上させ、傷ついた人々が堂々と美しくなれる世界を作るための、一人の医師の孤独で壮絶な闘いがあったのです。

今回は、全身がんとの闘病を続けながらも今なお走り続ける、高須克弥という男の「本当の功績」と、彼が医療界に起こした革命の歴史を紐解きます。

1. かつて美容整形は「日陰の裏稼業」だった

今でこそ、10代や20代の若者が「プチ整形をしてきた」とSNSにビフォーアフターの写真をアップし、市民権を得ている美容医療。しかし、高須院長がこの世界に足を踏み入れた1970年代の日本は、今とは全く異なる、信じられないほど冷ややかな空気が流れていました。

当時は「親からもらった体に傷をつけるなんて親不孝だ」「恥さらしだ」という価値観が絶対的な正義だった時代です。美容整形といえば、ヤクザの刺青消しや、ワケありの人間が夜中にこっそりと足を運ぶような「日陰の存在」であり、世間からは「裏稼業」として後ろ指を指される対象でした。

実家が江戸時代から続く由緒正しい医師の家系であり、自身も昭和大学医学部を卒業したエリート医師だった高須氏は、もともと整形外科(一般医療)の分野で最先端の人工股関節手術などを手がけていました。そのまま歩んでいれば、誰もが羨む「立派な大病院の先生」として生涯を終えられたはずです。

しかし、彼はドイツ留学中に「人間のコンプレックスを解消し、内面まで劇的に明るくする」美容外科の可能性に魅せられ、周囲の大猛反対を押し切って転身を決めます。

当時の医療界からの風当たりは、想像を絶するものでした。大学の医局や同級生からは「あいつは金儲けのために魂を売った」「医者の面汚しだ」と罵られ、学会からも村八分のような扱いを受けたといいます。

高須氏は後に当時を振り返り、「どれだけ素晴らしい技術があっても、業界全体が怪しいと思われているうちは、本当に救いを求めている患者さんが堂々と病院に来られない。この状況をひっくり返さなければならない」と、強い憤りを抱いたことを明かしています。

2. 「テレビのピエロ」になるという、あまりにも計算された戦略

業界のイメージを根底から変えるために、高須氏が選んだ手段。それが「自らがメディアの最前線に出て、顔と名前を晒すこと」でした。

1977年、彼が出版した『危ない美容法』という著書がベストセラーになったことをきっかけに、テレビ局からのオファーが殺到します。普通の医師であれば、イメージ低下を恐れてバラエティ番組への出演などは断るところですが、高須氏は違いました。むしろ、自ら進んで「おもしろおかしい文化人タレント」のポジションに飛び込んでいったのです。

彼は、テレビという巨大なメディアの特性を完全に理解していました。 「医者が生真面目な顔をして『美容整形は安全です』と語っても、誰も聞かないし、怪しさは消えない。だったら、自分がとことん明るく、ユーモラスなキャラクターになって、美容整形という言葉の持つオドロオドロしい響きをポップに変えてしまえばいい」

さらに、昭和の時代には「医師や病院がテレビCMを打つこと」は医療法などの高い壁に阻まれた大タブーでした。高須氏は、病院の宣伝ではなく「美容のメッセージ」という名目でその規制の隙間をこじ開け、自ら広告塔として画面に登場。「Yes, 高須クリニック」という、誰もが口ずさめるキャッチコピーとともに、お茶の間に浸透していきました。

一見すると、単なる目立ちたがり屋のパフォーマンスに見える一連の行動。しかしその実態は、「怪しい裏稼業」という美容整形のイメージを、「オープンで、クリーンで、少し楽しいもの」へと180度転換させるための、極めて緻密で命懸けのブランディング戦略だったのです。

3. 自分の体すら実験台に…「脂肪吸引」を日本に定着させた狂気の医師魂

高須院長が「社会的地位向上」のために行ってきたのは、メディアでのPRだけではありません。医師としての技術のアップデート、そして何よりも「安全性への執念」は凄まじいものがありました。

今では定番の痩身治療となっている「脂肪吸引」や「二重まぶたの埋没法」といった技術を、海外からいち早く日本に導入し、普及させたのは高須院長です。しかし、当時の日本の医療界は「そんな得体の知れない海外の治療は危険だ」と猛反発しました。

そこで高須院長が取った行動は、まさに“狂気”とも言えるものでした。 なんと、世界で初めて「自分自身の体に脂肪吸引を施す」という暴挙に出たのです。

「安全性を証明するためには、まず自分が実験台になるのが一番手っ取り早い」 彼は自分の腹部にカニューレ(吸引管)を差し込み、実際に脂肪を吸引してみせました。それだけでなく、後年には最新の若返り手術やレーザー治療が出るたびに、まずは自分の顔や体で試し、その経過を包み隠さず公開し続けました。

現在、高須院長の顔にはいくつもの手術の痕跡や治療の歴史が刻まれています。それは美しくなるための整形ではなく、日本の美容医療の安全性を自らの体で証明してきた「戦士の傷跡」なのです。彼がそこまで身を削ったからこそ、厚生労働省や他の医師たちもその効果と安全性を認めざるを得なくなり、日本の美容医療の質は世界トップレベルへと引き上げられました。

4. 全身がんと闘う「不死鳥」が私たちに教えてくれること

そんな、日本の美容医療の歴史そのものと言える高須院長ですが、2014年に尿管がんを発症。2018年には、がんが全身に転移していることを公表しました。

「全身がん」という言葉の響きは、多くの人に絶望を与えます。しかし、高須院長はここでもまた、これまでの人生と同じように、私たちの常識を遥かに超える姿を見せてくれました。

自身のSNS(Xなど)では、毎日のように入院生活や手術の様子、時には痛々しい闘病の現実までもが、驚くほど明るいトーンで投稿されています。 「がんはすぐに死なないから、いろいろな計画が立てられる夢の大きい病気なんだよ」 「毎日が余生。だからこそ、今この瞬間を全力で楽しまなきゃ損じゃない」

抗がん剤治療で髪が抜け、体が痩せてしまっても、カメラに向かって「Yes!」とポーズを決める彼の姿に、どれほど多くの患者やその家族が救われ、勇気づけられたことでしょうか。

彼はがんになってからも、医師としての知見をフルに活かし、自らの体を使った「がん治療の実験」を続けているようにも見えます。死の恐怖に屈するどころか、それすらも人生というエンターテインメントの一部、そして医療の発展のためのデータとして昇華しようとしている――その姿は、まさに「不死鳥」そのものです。

5. 結び:もう少し、いや、まだまだ現役で笑っていてほしい

「目立ちたがり屋のタレントドクター」 その派手な看板の裏側にあるのは、日本の美容医療を日陰から救い出し、人々のコンプレックスを笑顔に変えるために全てを捧げた、一人の偉大な医師の執念でした。彼が築いた土台があるからこそ、今の私たちは偏見に怯えることなく、自分を磨く選択肢を手に入れているのです。

現在もなお、がんと共存しながら前を向き、SNSでポジティブなメッセージを発信し続けている高須院長。

年齢も80歳を超え、病魔との闘いは決して平坦なものではないはずです。それでも、私たちは願わずにはいられません。

高須先生、どうかその圧倒的なバイタリティで病を跳ね返し、もうしばらく、いや、まだまだ現役で私たちにその破天荒な笑顔を見せ続けてください。あなたが元気に「Yes!」と叫ぶ姿こそが、日本中に生きる活力を与えているのですから。

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