サラワク州クチンと日本人

旅行先を考えるときにその場所と日本、日本人との関係を考える人は少ないと思います。観光場所、美味しいものなどを中心に考えることが多いと思います。あまり興味がわかない話かもしれませんが、ちょっとしたよもやま話として、Kuching Sarawakと日本人との関係を紹介します。

ボルネオ島には、日本軍が侵攻して、1941年12月24日に占領、第二次世界大戦終戦まで日本軍の軍政下にありました。ボルネオ島と日本人については、山崎朋子著「サンダカン八番娼館」が映画にもなり有名ですが、クチンにも日本との関係を残す日本人墓地があります。

日本人墓地は州政府よりクチン日本人会に管理が委託されており、日本人会として定期的清掃や古いお墓に代わる慰霊碑を建造して、保存しています。

現地に住んでいるとき「俺のおじいちゃんは日本人と戦った」と、嘘か本当かわかりませんが現地中国系友人に言われたことがあります。別に反日感情があったわけでなく、ビールを飲みながらの冗談だ思いますが、戦ったことは本当かもしれません。

日本人が少ない地域で、事務所も現地人スタッフと私日本人一人の状態で、公私ともに現地中国系マレー系の友人と話すことがほとんどでしたが、特に難しさを感じませんでした。ただ、友人の一人は私に対して「お前は非常にいいやつだ。依然付き合った日本人は現地マレー系を見下していた」と言っていたので、日本人の中には現地の人を見下す人がいたのかもしれません。これは、日本マレーシア間の感情というより、個人的な資質によるものと思います。

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