森喜朗が血まみれで倒れる!? - 息子は暗殺?押尾学との関係は?

 首相経験者で未だに自民党内での影響力は大きいと言われている森喜朗さん。元衆議院議員で、2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務めました。そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員長を務めました。「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と発言し女性蔑視であるとマスコミにたたかれ直前で会長を辞任しました。そんな森喜朗さんの人生を調べてみました。

 元内閣総理大臣はラグビーでも有名です。森喜朗さんが小学5年生の時、早稲田大学のラグビー部の練習試合を見てラグビーに興味を持ち、早稲田大学に入りラグビーをやろうと決意しました。学区が違うラグビー強豪の石川県立金沢二水高等学校に進学するために中学生で越境入学したそうです。行動力があります。
 森喜朗さんは高校では当然ラグビー部に入部しましたが、体が小さかったようです。先輩が「あんなちっちゃい子、使えるか!?」「でも、あいつ森さん(お父さん)のお子さんだから、そんなこと言うなよ!?」「まあ、とりあえず入れてやるか・・・」と、そんな会話が部室のドア越しに聞こえてきたのだそうです。この会話を聞いてへこむのかと思いきや逆に闘争心に火が付き、その後キャプテンを務めるまでになりました。
 高校でのラグビー経験は様々な場面で活きているようです。「この私の曲がった小指は、私が高校で初めてレギュラーとして出させてもらった試合でけがをしてしまったものなんです。だからこの小指を見ると今でもその当時の、初レギュラーになり嬉しかったことと、頑張ったことを思い出すんですよ。」と語っています。
 その後、森喜朗さんは早稲田大学第二商学部にラグビー推薦で入学しましたが、レベルの違いに圧倒されたことや練習が過酷だったこと、文化の違いなどからメンタルがやられ、身体も悲鳴を上げ1年生の時に吐血したため通院することになってしまいました。胃潰瘍と診断されたそうです。森喜朗さんは他の選手のレベルの高さに自分の限界を感じたようで退部、退学することを決意しました。退部、退学する旨を当時の大西鐡之祐監督に告げると、次のように言われたそうです。「何が早稲田だ、何がラグビーだ。そんなことでお前の人生が全て決まるわけじゃないんだ。ラグビーを見返してやろうじゃないか」と。要は、『ラグビーに恩返ししなさい』ということを大西先生はおっしゃってくれたんです、と述べています。
 この言葉に深い感銘を受け、先輩の誘いもあって雄弁会に入部し政治家を目指すきっかけとなったとしています。

 森喜朗さんはある政治家から水野成夫氏(当時産経新聞社長)を紹介してもらい産経新聞への入社の約束をしました。しかし、一向に先方から連絡がありません。おかしいと思い産経新聞に問い合わせたところ、その年の新卒採用での予定はないとの返答でした。そこで森喜朗さんは話が違うため納得がいかないと産経新聞とやり取りをしていたら採用試験の提案をされました。森喜朗さんは勉強ができないことを自覚していたため、この採用試験で合格することができないことが分かっており、自分を落とすための口実だと考え白紙提出をしました。「わかりました。私は答案を白紙で出します。答えが分かっても書きません。」そして予告通り、答案用紙に名前だけで白紙で出したそうです。答えの代わりに、天下の水野氏は前途有望な学生をつぶすようなことがあってはならないというようなことを書いたそうです。結果は先方の根負けか産経新聞に入社することが決まったそうです。
 これは良いように捉えれば、言われた通りにあっさり引き下がるのではなく、どうしてもこの仕事がしたいと訴えかけて行動すれば未来を勝ち取ることができるということですし、悪く捉えれば、正規のルートを通らずともゴネタもの勝ちということかもしれません。
 これは見解が分かれるところですが、2000年4月25日の衆議院予算委員会で森喜朗さんは「コネ入社」「恫喝入社」として追及のネタにされてしまいます。
 産経新聞に入社した森喜朗さんは政治部を希望しましたが、採用に際してゴタゴタがあったからなのか、当時の森喜朗さんの能力が足りないと判断されたのかはわかりませんが、政治部には配属されませんでした。結局森喜朗さんは産経新聞を退社することにしました。

 森喜朗さんは1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧石川1区から立候補しました。当時の自民党幹事長である田中角栄さんは、森喜朗さんのことを「泡沫候補」と呼んで公認を与えなかったので、保守系無所属での出馬となり、かなり不利な状況下に置かれていたそうです。しかし、選挙直前の一族会議中に近隣の家から出火したそうですが、その時森喜朗さんは決死の覚悟で家に飛び込み、仏壇を抱えて出てきたことで、風向きが一気に変わったそうです。当時の北陸地方は仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動により風向きを変えることになったそうです。さらには、つてのあった元首相の岸信介氏の応援が後押しして、森喜朗さんはかなり不利な状況から一転、トップ当選を果たしました。
 森喜朗さんは無名である自分の応援要請に応えてくれた岸信介氏に対し、終生恩義を忘れない姿勢を示していたそうです。

 2000年4月に小渕恵三氏は脳梗塞で倒れ緊急入院することになり、後任として森喜朗さんが2000年4月5日に第85代内閣総理大臣に就任しました。しかし、森喜朗さんは総理大臣就任以前より前立腺がんの疑いを指摘されており2000年4月7日に生体検査を受けた結果、「生検では6か所から組織を採取したのですが、4か所からがん細胞が見つかったそうで、主治医のK先生から『間違いなくがんです』と言われました。」とがんと宣告されたようです。森喜朗さんはショックということはなかったようですが、前総理が脳梗塞で辞任したばかりで、自分もがんで入院する状態は許されないことと感じていたようです。
 「就任早々にがんが見つかったので、総理の座に長くとどまる気はありませんでした。私が(総理大臣を)1年ちょっとやると参議院の選挙だったんですよ。戦術として、その直前に辞めて後任にボールを渡すのがいいと思っていました。政治もラグビーと同じで自分でトライしなくてもいいんです。ボールをつないで誰かがトライすれば、それでいいので、何とかそこまで引っ張っていこうという気持ちでした。」このように自分の政権は短命だと考えていました。失言連発で世間を騒がせた森喜朗さんでしたが、辞任は初めから1年後と決めていたようですので、失言が原因で総理大臣を辞任したのではなく、前立腺がんの治療が本当の理由だったようです。

 元政調会長の亀井静香氏は、「森みたいなのが総理になれたんだという人がいるが、森が総理にまでなれたのはズバリ他人への配慮だ。人に対する配慮するのが、物凄く上手かった。」と述べています。森喜朗さんは周囲の関係者からは高く評価されていたようで、悪く言う人はあまりいないようです。ただ失言に関しては公の場での発言には配慮すべきでしょう。

 森喜朗さんは、総理辞任後は大臣職には就いておらず、日本ラグビーフットボール協会会長(2005~2015年)、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長(2014~2021年)のようなスポーツを中心とした役職に就いています。なぜ失言連発の人物を重要ポストに置いているか疑問に思う方もいたことでしょう。
 森喜朗さんはこれまで2016年オリンピック・パラリンピック招致や2019年ラグビーワールドカップなどの交渉事を通して、IOC重鎮やスポーツ界のインフルエンサーと信頼関係を築いてきました。2019年ラグビーワールドカップでは世界の要人たちがセレモニーで常に「Mr.Mori」への感謝を口にされていたほどです。この部分はおそらくマスコミが取り上げない部分でしょう。東京オリンピック・パラリンピックにしても森喜朗さんだからこそできたことも多くあるようです。

 プライベートでは息子の祐喜さんと死別していますが、その息子さんには様々な噂がつきまとっていると言われています。
 森喜朗さんの息子。祐喜さんは、2006年から石川県議会議員として政治活動を行っていました。石川県は森喜朗さんの出身地ですから、バックアップしてくれる支持者も多い地域です。しかし、森祐喜さんは2010年8月7日に酒気帯び運転で石川県小松市内のコンビニに車ごと突っ込んで物損事故を起こして逮捕、その後議員を辞職しています。議員という責任ある立場にありながら、酒気帯び運転をしていただけでなく、物損事故まで起こしたのですから当然といえば当然です。しかし、事故から2か月後の2010年10月に突然自宅で倒れて入院し、一時心肺停止にまで陥ってしまいました。その後、いったんは回復したのですが2011年5月ごろから再び体調を崩して金沢市内の病院に入院し治療を続けたものの、2011年7月に急性膵炎による多臓器不全のため、46歳の若さで亡くなっています。
 急性膵炎とは、膵液に含まれる消化酵素に膵臓自体が消化されてしまうことにより、膵臓や関連する器官に急激な炎症が起こる病気です。急性膵炎の原因で最も多くみられるものは飲酒(アルコール性の急性膵炎)です。
 森喜朗さんは息子さんの死については多くを語らず、告別式は近親者のみでしめやかに行われたそうです。息子を先に亡くすことは親の森喜朗さんにとって相当ショックだったことでしょう。しかし、この息子さんの死因や事件について様々な噂が流れているのです。2006年に石川県議会議員になった祐喜さんについて、六本木界隈で豪遊しているなど黒い噂が絶えず流れていました。
 そんな時に起こったのが2009年の押尾学さんのあの事件でした。六本木ヒルズの高層マンションの一室で押尾学さんが銀座ホステスの女性と合成麻薬を服用し、そのホステスの女性が死亡したのを放置して逃亡したという事件です。
 押尾学さんは麻薬取締法違反、保護責任者遺棄致死罪で逮捕されましたが、その場には他の人物もいたのに押尾学さんが罪をなすりつけられたのではないかと言われています。
 押尾学さんも「週刊新潮」のインタビューで、「事件にはいろいろな人が関わっていました。」「僕は何もしゃべっていない。仲間を売ることはできないと思ったからです。でも、フタを開けたら、皆が『押尾がやったこと』と僕を売っていた。」「これは一生、忘れることはできない。」と発言しており、いろいろな人が関わっていたことは認めています。
 亡くなったホステスの女性と森喜朗さんの息子・祐喜さんが一緒に写った写真があることや、押尾学さんと祐喜さんが亡くなった女性が勤めていた銀座のクラブの常連だったことが、噂の元になって、森祐喜さんと押尾学さんに何か関係があるのではないかと言われています。
 森祐喜さんは銀座のホステスの女性たちと乱〇パーティをしていた、とも報じられていました。さらに、逮捕されて芸能界を引退したにもかかわらず、悠々自適な、むしろ派手な生活をしている押尾学さんに対し、森喜朗さんが2億円の口止め料を払った、という噂まであります。確かに押尾学さんは芸能界を引退したにもかかわらず、インスタなどで派手な生活ぶりを発信していることも、噂を後押ししているようです。
 森祐喜さんはもう亡くなっており、押尾学さんもこの件については触れていないので、真相は闇の中ですが、そんな噂が流れてしまうぐらい、日頃からあまり評判のよろしくない言動や行動をしていたのかもしれません。
 いろいろと調べると意外な説も存在します。実はこの時に亡くなったホステスの田中香織さんと部屋にいたのは森祐喜さんで、田中香織さんに合成麻薬MDMAを服用させて事に及ぼうとしたが拒否されたために激昂、森祐喜さんは田中香織さんに対して額が陥没し肋骨が折れるほどの暴行を加え、その結果田中香織さんは薬物中毒の症状併発させて意識不明となったというのです。
 この時押尾学さんは六本木ヒルズレジデンスの別の部屋に移動していたのですが、事態の急変を受けて森祐喜さんに呼び出され、身代わりを頼まれたというのです。
 押尾学事件が発生した2009年8月は、衆議院選挙戦の真っただ中(投開票日が8月30日)で、父親の森喜朗さんが出馬していたため、息子の森祐喜さんのスキャンダルはなんとしても避けなければならず、政治の力を総動員して事実を揉み消して、押尾学さん一人に罪をなすりつけたのが真相だと噂されているのです。

 死亡したということになっている森祐喜さんですが、実はこれは森祐喜さんに対する疑惑やバッシングをかわすための嘘で、現在も別人として生きているという説が存在します。
 この生きているという噂については、森祐喜さんの葬儀が密葬で行われている事やタイで森祐喜さんを目撃したという噂がネット上に流れていることが根拠とされています。
 父親の森喜朗さんは息子・祐喜さんの問題行動に頭を抱えていたものの、息子はやはりかわいく、政治的な力を駆使して表向きは死亡したことにして、別人としてタイで生活させているというのは、なんとなくありえそうな話に思えてきます。ただ、このタイでの目撃情報も匿名によるもので、証拠の画像なども公開されておらず信憑性は低いと言わざるを得ません。森祐喜さんがタイで生きている説は、あくまでも都市伝説と受け取っておくのが無難です。

 そんな森元総理ですが、現在は夫婦で老人介護施設に入居されていると言われています。「森元総理は2023年8月末に尻もちをついた際に、背骨を圧迫骨折し車椅子生活を余儀なくされています。奥さんも高齢のため、二人で介護施設に入居しているのです。」と清和会関係者が語っています。
 実は公になっていませんが、安倍晋三元総理が凶弾に倒れた2日後の2022年7月10日夜、血まみれになって倒れ、集中治療室に運ばれたことがわかっています。一体何が起きたのでしょうか。この日は安倍元総理が亡くなった2日後で参議院議員選挙の投票日でした。この大事な日に突如として連絡がつかなくなった森元総理について、メディアや政界ではいろいろな噂が飛び交ったのです。
 まず、「不祥事から雲隠れしているのではないか」ということでした。当時、五輪組織委員会で理事を務めていた高橋治之氏が、大会スポンサーだった紳士服の「AOKIホールディングス」側から計4500万円超を受領したされる事件が報じられていました。それへの関与等があって、捜査が森元総理にも及んでいるのかという憶測だったのです。
 次に流れた憶測は、安倍派の後継者を巡って、森元総理への関係者からの連絡が殺到し、煩わしくなって無視を決め込んだのではないかというものでした。結果的にこの二つの憶測は憶測のままでした。
 「(7月10日・参院選開票日の夜に)こともあろうに私は風呂場で倒れるんだよ。初めて救急車に乗せられて病院に運ばれた。風呂場だから真っ裸で血だらけ。半分無意識で救急車に揺られたりしているときに思ったのは、これは相当やばい。」「サイレンが鳴る救急車に乗せられて搬送される途中でなんとなく気を失った。集中治療室に一晩入れられたから、翌日の安倍さんのお通夜には行けなかった」と自身で述べており、大変な事態に見舞われていたようです。

 現在の森喜朗さんが病気でがん治療中と噂されています。
 様々な失言の多さでも歴代総理のなかでは稀有な存在として、特徴の強かった森喜朗さんが病気を発症したのは2012年で前立腺がんになったと言われています。完治したと思ったのもつかの間、2015年には肺がんを発症して闘病生活を送ります。2015年の肺がん発覚で肺の切除手術も受けた森喜朗さんですが、1937年生まれで2015年当時でも70代後半と高齢の身体に手術が堪えたのでしょう。
 そのご食事面などかなり気を付けているようですが、身体にメスを入れたこと、身体の一部をとったことはかなり負担になったようです。
 その後再発し抗がん剤治療を始めたことから、相当この抗がん剤の治療に苦しんだそうです。
 そんな当時余命半年と言われた時期に出会った新薬がオプジーボという治療薬でした。その当時開発されて間もない新薬こそが、森喜朗さんの命をつないでいると言われているのです。あまり聞き覚えのないオプジーボと言われる新薬ですが、2015年12月に保険適用薬として厚生省の認可が下りた免疫治療薬です。相次ぐがん治療で一時は余命半年と告知され詞を覚悟した森喜朗さん。しかしこの新薬オプジーボでこれまでの抗がん剤とは違う画期的な効果を望めることから治療に取り組んでおり、病状も上向いてきたと言われていました。この新薬オプジーボは今後がん患者に治療薬として積極的に利用されるのは間違いないでしょう。しかし、25%の高額治療の引き下げといっても元々が年間に数百万円とも1千万円超とも言われる極端に高額医療の新薬です。そして、当初皮膚がんに限定されていましたが適用されるがんも肺がんに広げた結果、需要のある患者の数が急拡大したと言われています。薬価の引き下げが行われても未だに一部の人しか使用できない高額な治療薬といえます。

 引退後も清和会(安倍派)の後見人として振る舞い、政界に隠然たる力を誇示してきた森喜朗さんですが、出身派閥における指導体制崩壊の危機のもかかわらず、どうしたわけかその姿が見えてきません。
 身内からは今般の有事を招いた元凶だと非難も巻き起こっています。故・福田赳夫元総理が1979年に発足させた「清和会」は、中国の故事成語「政清人和」に由来します。派閥のHPによると、清廉な政治は人民を穏やかにするという意味が込められているといいます。
 森喜朗さんが1998年に第4代会長に就任した際に「清和政策研究会」と名称を改めて現在に至ります。
 その清和会が、裏金疑惑の震源地といわれ、未曽有の混乱状態に陥り、結果的には2024年1月に解散の方針が決定され、2月に最後の議員総会が開かれました。この混乱について、派閥内からは森喜朗さんの責任を追及する声が上がっているといわれます。「誰かが今後の方向性を示すべきですが、今の5人衆にはそれができない。その5人衆の跋扈(ばっこ)を容認してきたのが、他ならぬ森元総理です。口先では早く会長を決めるべきだ、などと言っていたものの、5人を操って清和会を集団指導体制に仕立てた。一人に権力を集中させないことで、自身が影響力を行使しやすい環境を作ったわけです。」さらに、「そもそも、この裏金作りだって森元総理の時代から連綿と続いてきたもの。本来は5人衆同様、捜査対象になってしかるべき人物なのです。」と続けて言います。

 森喜朗さんには、他にも気になる話があります。森喜朗さんは地元・石川県の北國新聞の連載「総理が語る」で、時に清和会所属議員をぼろくそにけなして、一定の存在感を保ってきました。
 ところが、2023年11月に、26日の記事をもって突如連載が終了になりました。捜査との関連が囁かれています。
 北國新聞は、「編集方針についてはお伝えできないことになっております」と質問に答えています。
 未だ政界には、介護施設にいながらにして、影響力を行使しようとしているようです。

 失言は多いものの、人への配慮で総理大臣まで上り詰めた森喜朗さんです。オリンピック・パラリンピック、ラグビーなどスポーツ界の交渉事でも、関係者との信頼を築いてきたようで、その能力は相当のもののようです。

 高齢で、病気も患って、今後表舞台に出てくるか不明なところもありますが、その際は失言にだけは注意してもらいたいものです。

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