10月16日に谷村新司さんが8日に東京都内の病院で急逝していたことがわかりました。「まだ若い」と言われる74歳でした。今年の3月に急性腸炎のために手術を受けて、入院しながらの治療を報告されていました。
堀内孝雄さん、矢沢透さんとの3人組「アリス」の全国ツアーを延期して、6月30日には年末恒例のクリスマスディナーショーなども休止すると追加発表していました。年内いっぱいの休業を決断して、治療に専念していましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
病気療養中の歌手谷村新司さんは2023年6月30日、公式サイトで定例で開催していたクリスマスのディナーショーなどのイベントを休止すると発表していました。公式サイトでは、「谷村の治療は現在進行中でありますが、定例で開催されていた今年の東京・帝国ホテル、大阪・ホテルニューオータニでのクリスマスのディナーショー及び各地での『歌暦』はお休みとさせて頂きます」と発表していました。続けて、「来年からの復帰に向けて、年内は治療に専念して良い結果が出せるよう本人共々頑張っていきますので今暫くお待ちくださいますよう心よりお願い申し上げます」と伝えていました。
谷村新司さんは2023年3月に急性腸炎のため手術を受け、入院しながら療養すると報告しており、5月には、谷村新司さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんからなる3人組バンド・アリスの全国ツアー『ALICE 10 YEARS 2023~PAGE1~』を延期することを発表していました。
そしてまたひとり、大御所アーチストが天に召されました。2023年は1月に元YMOの高橋幸宏さん、ロックバンドのシーナ&ロケッツの鮎川誠さん、3月には坂本龍一さんと、1970年代から活躍していた人気ミュージシャンが亡くなっていましたが、谷村新司さんも逝ってしまいました。
3月から闘病生活をしていることは公表されていて、毎年生放送のフィナーレで加山雄三さんとともに『サライ』を歌っていた日本テレビ系24時間テレビ『愛は地球を救う』も欠席されていました。古くからのファンたちを心配させていましたが、再びマイクを握ることは叶いませんでした。
谷村新司さんを知る音楽関係者よれば「来年アリスとしてもう一度舞台に立つことを目標に闘病生活を送っていたが、病状は日に日に悪化していきます。谷村さんの知人や友人たちにも連絡が取りにくくなり心配していたところだった」とのことでした。息の長い歌手のお一人でした。
谷村新司さんは、太平洋戦争直後の1948年に大阪で生まれて、高校時代からフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成。19歳の1968年にデビューしています。1971年には、盟友の堀内孝雄さんと『アリス』を結成します。当初は売れずに苦労していましたが、谷村新司さんがラジオ番組『MBSヤングタウン』や『セイ!ヤング』のDJとして人気者になり、1975年『今はもうだれも』がヒットしました。その後は、『冬の稲妻』、『涙の誓い』、『ジョニーの子守唄』、そして、オリコンチャートや音楽番組『ザ・ベストテン』で1位を取った『チャンピオン』などで、国民的知名度を獲得しました。
谷村新司さんは、作曲家やソロ歌手としても幅広く活躍しています。1978年に作詞作曲した『いい日旅立ち』は、当時の超人気アイドル山口百恵さんに楽曲提供し、大ヒットしました。ソロ歌手としても1980年の『昴-すばる-』が60万枚のセールスを記録して、NHK紅白歌合戦に初出場します。『昴-すばる-』は中国でも空前の大ヒットとなり、中華圏を中心に東アジアでも、その名を轟かせています。2004年からは、創立96年の歴史を誇る中国・上海音楽学院で、教授も任されていました。また、1984年の女優・小川知子さんとのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』でも、歌唱中に谷村新司さんが小川知子さんの胸元に手を入れるセクシーな演出で、お茶の間を大いに賑わせたこともありました。
1990年代は加山雄三さんとの『サライ』、2000年からはアリスを再始動させるなどデビューから50年以上、歌手活動を走り続けていました。今年が初めての闘病、長期休養でした。音楽関係者は、「これまで大病を患ったこともなく、ずっと元気でした。6年前には、22歳の渡米中に失効して以来、再交付していなかった自動車免許を68歳で再取得します。『勉強も楽しかった。ゆくゆくは大型免許やけん引免許も取ってみたい』と意気揚々だったので、本人ももっと長生きしたかったはず」と惜しんでいます。
毎年夏の終わりの8月末の日曜夜は、日本中が口ずさんでいた『24時間テレビ』の名曲『サライ』。すでに加山雄三さんも歌手活動を引退していて、谷村新司さんの死去でこの名曲は、本当に永遠に復活しないことになってしまいました。一つの時代の終わりを感じる訃報でした。
谷村新司さんは年収で全盛期には1億550万円を稼いでいたと言われています。最近での年収は2450万円であり、全盛期には届かないものの印税も稼いでいたと思われます。
堀内孝雄さんとは不仲説もありました。堀内孝雄さんがTBSで放送された「ジョブチューンSP」に出演した際には、「アリス」のメンバーである谷村新司さんのことを「正直、嫉んでいました」と告白しています。45年前にボーカルの谷村新司さん、ドラムスの矢沢透さんとともにフォークグループ「アリス」を結成し、デビューしました。数々の大ヒットを飛ばしています。リードボーカルである谷村新司さんに「正直、嫉んでいました」と本音告白しています。フリーアナウンサーでタレントの徳光和夫さんから「ね、べーやん、好きか嫌いかで分けるとどっち?」と単刀直入に聞かれると、「いやいや」と苦笑いし「そういう究極なこと言わないで」とかわし、徳光和夫さんが「今の答えでわかりました」と苦笑いしていました。堀内孝雄さんはアリス時代の谷村新司さんについて「歌もしゃべりも、演出までも、彼(谷村新司さん)でしたから。彼が全部かっさっていたので」と嫉みの理由を説明しています。「いまだにわからないのは、(谷村新司さんの代表曲である)『昴』の意味。『さらば~、昴よ』って何のこと?」と突っ込みを入れています。改めて谷村新司さんについては、「彼の功績は大ですよ」と実力を認めています。
谷村新司さんは2022年3月30日にある告白をしています。番組タイトルに絡めて、出演者が「告白」をテーマにトークする場面がありました。谷村新司さんは「実は60歳くらいまで、ものすごく苦手なものがあったんですよ、ほとんど食べようとしなかったもの。酸っぱいもの、ポン酢」と明かしました。アリスの同僚堀内孝雄さん、矢沢透さんは初耳だったようで「えっ、本当!?」「初めて聞いたよ」と驚いていました。以前は「酸っぱいものを口に入れると汗が出てきてブルブルってくるくらい口に入れられなかった」と谷村新司さんは語っています。会食の際、鍋料理が出てくると「ポン酢をつけているフリをしながら食べたりしていた」ほどだったそうです。しかし、「60歳過ぎたくらいから美味しいかもって、変わるんですよ」と、味覚の変化があったことを振り返っていました。年齢を重ねて「舌が変わってきたのかね、体が心地よくなってきてポン酢など酸っぱいものが最近は普通に好きになった」とコメントしています。「ツンとこない酸っぱさが好き。とんがっている酸っぱさがまだダメなんですよ」とも話し、「年齢とともに好みが変わるんだなって、ポン酢でそう思いました」と話していました。谷村新司さんは「食べれるようになったという告白と、もう一個告白しておきたいのは」と前置きして、今年アリスが50周年を迎えたことに触れ、「ベーやん堀内にしても、キンちゃん矢沢にしても、二人が元気でいてくれることが今スゴイ嬉しい」と、しみじみ語っていました「週に1回とか2週間に1回会うとお互いに『生存確認』って言いながら笑っているけど。3人がこうやっていられることを考えると奇跡のような気がする。愛しいですよ」と、感激しており、もうこの3人が揃わないことを考えると非常に悲しくつらい思いを感じます。
谷村新司さんの歌声は、生ではもう聞けませんが、ヒット曲の数々は楽しめる機会は多いと思いますので、谷村新司さんを思い出しながら今後も楽しみたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。