財津一郎さんの訃報がありました。しばらくメディアで見かけなかったので、「あの人は何してる?」「まだ芸能人やってるの?」など大小さまざまな噂が流れていました。そんな時に訃報があると本当に驚いてしまいます。歌いながら呼びかける《タケモトピアノ》の20年以上にわたって放送されているテレビCMは有名です。赤ちゃんがピタリと泣き止むCMとして、バラエティ番組でも取り上げられるほど話題になったこともありました。そんな財津一郎さんについて調べてみました。
今回週刊誌の取材で、財津一郎さんがなくなっていたことがわかりました。享年89歳でした。財津一郎さんの知人が明かしたところによると、「10月14日に亡くなりました。18日通夜、19日に告別式が執り行われました。」
財津一郎さんは1962年から1968年にかけて放送されたコメディ番組《てなもんや三度笠》に出演し、藤田まことさんや白木みのるさんと共演していました。「キビシーッ!」「~してチョーダイ!」が口ぐせの浪人役でお茶の間に笑いを届けていました。同番組は関西地区で最高視聴率64.8%を出したこともある人気番組で、財津一郎さんの演じるセリフは流行語にもなったほどでした。
その後俳優として、1969年公開の映画《男はつらいよ》シリーズに出演し、1978年に放送された松本清張ドラマシリーズや、1979年から放送された《3年B組金八先生》シリーズに出演されました。しかし、2011年放送のスペシャルドラマ《3年B組金八先生ファイナル》の出演を最後に、10年ほどは病を理由に仕事を断っていたと言います。
別の週刊誌の2019年のインタビュー記事によると、肺の前がん病変であったことや、心臓に水がたまる病気であったと明かされています。体調が回復すると、2019年の秋に4歳年上の妻・ミドリさんが自宅で転倒し、右手首を骨折し、財津一郎さんが家事を一手に引き受けて、妻をお風呂に入れることまで担っていたといいます。老々介護の実情を明かした財津一郎さんは、「何十年もお世話になったママへの恩返し。人生最後のご奉公のつもりなんだ。」と語っておられましたが、2020年2月にミドリさんが息を引き取りました。一時は気落ちしたこともあったが「絶対に暗くならない。」をモットーに前を向き始めていたといいます。
そんな様子を取材に応じた息子さんが明かされています。「母を支えることが父の活力でしたから、母が亡くなってから元気がなくなったのは確かです。母の死後は、体調が悪くなることもありましたが、大好きなゴルフを楽しむため、リハビリを頑張っていました。高齢で危ないので、運転免許の返納をお願いしていましたが、ゴルフをしたいから頑として首を縦に振らなくて…。なので、僕がゴルフ場に送って一緒にプレイすることを条件に免許の返納をしてもらいました。ゴルフの腕前はなかなかで、今年は自身の年齢以下でホールアウトするエージシュートも出したんです。89歳にして、スコアは87でした。」2023年6月までは毎月、親子で一緒にゴルフを楽しんでいたといいます。しかし、「8月ごろ、血液を全身に送り出す心臓の力が弱まってきたんです。≪入院だけはしない≫とする本人の意思を尊重し、自宅療養を続けていました。なんでも人に頼らず≪自分でやる≫という人でしたが、10月の初旬からは歩くのも困難になっていき…、14日に息を引き取りました。死因は慢性心不全でした。」と息子さんは語っておられます。
財津一郎さんは最後まで自宅で過ごすことにこだわり続けたといいます。それは妻ミドリさんと過ごした、たくさんの思い出が詰まった家だったからという思いは、こんなエピソードからも感じられます。息子さんは、「ゴルフ場でコースを回るときは、母のドライバーを使うこともあったんですよ。もちろん体の大きさが違うからサイズも違いますし、いつも使っていたわけではありません。だけど、ゴルフの時は常に持ち歩いていたんです。ここぞという場面では≪ママのやつでいくよ≫とキャディーさんに伝えていました。」
俳優として芸能活動をスタートしたばかりの孫・財津優太郎さんの活躍も楽しみのひとつだったといいます。優太郎さんは2022年4月、山下智久さんが主役を務めたNHKの連続ドラマ《正直不動産》でドラマデビューしました。生前財津一郎さんは「優太郎が活躍する姿を見て、嬉しそうにしていました。」
2023年10月15日に第1話が放送されたTBS系日曜劇場《下剋上球児》に出演中の優太郎さんですが、実は主演の鈴木亮平さんも財津一郎さんは縁があります。2010年に公開された映画《ふたたびswing me again》で、主演の財津一郎さんの孫役で鈴木亮平さんが出演されていました。今度は、実孫の優太郎さんが鈴木亮平さんと日曜劇場で教師と生徒役で共演、そんな≪二人の孫≫の共演を財津一郎さんは楽しみにしていたそうですが、放送前日に息を引き取りました。さぞ心残りではあったろうと思いますが、天国では≪孫≫たちにむけて「頑張ってチョーダイッ!」と応援しているのではないでしょうか。
訃報やこれまでの様子について紹介してきましたが、家族の情報も紹介します。まず息子さんですが、40代以上の世代の人は顔を見たことがある人もいると思います。しかしタレントではなくTV局勤務の社員として働かれており、日本テレビでかつてはディレクターとして活躍し、数々の有名番組を手掛けていました。名前を財津功さんといい、2023年10月では日本テレビの情報・制作局専任局次長となられているようです。系列の専門学校で講師としての活動もされているようです。お孫さんの財津優太郎さんも既述の通り、俳優として活動されています。2020年9月には《踊る!さんま御殿!!》にも出演されています。舞台を中心に活動されているようです。歌手の財津和夫さんとは、2016年8月に放送されたNHKの《ファミリーヒストリー》に財津和夫さんが出演した時に、遠縁の親戚関係であったことが判明しています。財津一郎さんの家系は神武天皇から続く名家とされており、財津一郎さんの父親は農林省(現在の農林水産省)の役人だったそうです。熊本県阿蘇の出身地には財津家の土地もあったそうです。
長きのご活躍に敬意を評すると共に、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。