渡辺徹の死因は?妻榊原郁恵の献身的な介護にも関わらず。

渡辺徹さんは、2022年11月28日に敗血症で亡くなったと公表されました。以前より急性糖尿病など長く病と闘っていました。妻である榊原郁恵さんの献身的な介護もあったと聞きましたので調べてみました。

渡辺さんは、1991年に急性糖尿病を発症し、2012年には虚血性心疾患で6時間もの大手術を受けていました。2013年には膵炎で入院、2016年からは糖尿病による腎機能低下で週3回の人工透析を受けていました。2021年にも大動脈弁挟窄の手術を受けていました。特に1991年から長期にわたって悩まされたのが糖尿病だったそうです。

妻である榊原郁恵さんは、カロリーと栄養バランスを計算しつくした食事を造り、なんとか病状を悪化させないように健康管理を手ってしようとしていたとのことです。それにもかかわらず渡辺さんの染み付いた食生活を変えることは難しく、渡辺さんは「量が少ない」などと不満を漏らしていたそうです。

時には喧嘩になりながらも献身的な介護を続けてきた榊原郁恵さんの苦労について述べたいと思います。

榊原郁恵さんと言えば、アイドルとしてデビューし、1981年に上演した「ピーターパン」で有名です。「ピーターパン」は郁恵さんが座長を務める初の公演であり、郁恵さんが所属するホリプロが初めて手掛けたミュージカルということもあり、当初は興行的な成功を不安視する声も多かったとのことです。郁恵さんは小柄でありながらスリムな体形で、主役の少年役を演じ、1981年の「ゴールデンアロー賞 演劇賞及び大賞」を受賞しています。この郁恵さんの「ピーターパン」は7年の間、毎年夏の1カ月の間代役無しで飛び続けること340回でのべ76万人を動員しています。公演は都内でも大収容数を誇る新宿コマ劇場で最後尾まで埋まるという客入りで、千秋楽を延ばすほどの人気となり、追加公演びチケット発売には朝から長蛇の列になったそうです。初演での入場者数は50回の公演で12万3564名、日本のミュージカル史上で初演時で採算が取れた初めての作品と言われています。本人曰く「美智子様と紀宮様が観劇に来られたことが一番の思い出」と語っておられます。

1987年に渡辺徹さんとの結婚に伴い、この年を持って「ピーターパン」を降板されています。その年の10月14日に行わられた結婚式と披露宴は生中継され、平均視聴率は40.1%と高い数字を記録しています。

こうして日本中から祝福された渡辺徹さんと榊原郁恵さん、長年の暴飲暴食により体調を崩した渡辺徹さんの糖尿病や食生活をなんとか改善したいと郁恵さんは必至で介護を続けてきました。渡辺さんは一人ではなかなか運動をしなかったとのことで、郁恵さんがたびたびウォーキングに付き添っていたようなのです。夫婦でおしゃべりをしながら歩くのは渡辺さんにとって非常に楽しい時間だったようです。糖尿病はひとたび発症すると治癒することはなく、放置すると網膜症や腎症、神経障害などの合併症を引き起こし、末期になると失明したり透析治療が必要となることがあります。さらに糖尿病は脳卒中や虚血性心疾患などの心血管疾患の合併症を促進することでも知られています。渡辺さんも心臓の手術を複数回経験しており、常に心配は絶えなかったと言います。

渡辺さんは寝る直前まで台本を読むことが多かったとのことで、明かりが迷惑だろうと郁恵さんを気遣って寝室を別にしようと提案したそうです。しかり郁恵さんは「いつ体調が急変するかわからないから」と言い、同じ部屋で寝続けたとのことです。郁恵さんがそれほど渡辺さんの体調を気遣っていたのでしょう。2016年からは腎機能の低下で週3回の人工透析が欠かせなくなり、郁恵さんが病院への送り迎えをすることもあったそうです。

郁恵さんの献身的な介護の甲斐なく、病魔は渡辺さんの身体をむしばみ続けていきました。渡辺さんはここ数年はインスリン注射が手放せない状態だったようです。太り気味な体型もかなりスリムになり、ダイエットの成果だと思われていたのですが体はもう限界だったようなのです。2022年に入ると郁恵さんの生活も変わっていきました。2022年3月には13年に渡り熱心に取り組んできた野菜作りをやめ、一緒に野菜作りをしているメンバーの高齢化のためと周囲の人には話していたようですが、渡辺さんの体調が関係していたのかもしれません。郁恵さんの頭にはいつ何があるかわからないという思いがあったのかもしれません。

いつの頃からか、二人は後悔のない日々を過ごそうとしていたようです。行きつけだったイタリアンレストランの関係者によると、「最後にいらしたのは6月ですが、『まずサラダから』といった以前からのルールは守りつつもリゾットやパスタなどお好きなものを召し上がっていました。美味しい食事が何よりのご褒美だったようです」とのことです。かなり厳しい食事制限を続けていた渡辺さんに好きなものを食べさせようとしていたようなのです。家族でお酒も楽しみ、9月には敬老の日のお祝いで、郁恵さんのお母さんのためになじみのお店に家族で全員で集まったと言います。以前は渡辺さんの食事だけ塩分を控えめにしてもらうこともあったそうなのですが、その時は全員で同じものを食べたと言われています。日本酒を飲みながら二人の息子と演劇談義で盛り上がったと言われています。それからおよそ2か月後の11月28日に渡辺さんは敗血症でお亡くなりになりました。

葬儀後は息子の渡辺裕太さんと二人で、気丈にインタビューに応じた郁恵さんは、渡辺徹さんを「偉大な人だった」と振り返っていました。「もう我慢しなくていいから」と大盛りのご飯を棺に入れたと語っていました。

渡辺さんがこの世を去り、長かった介護生活が終わったかに見えた郁恵さんですが、まだ終わってはいないようです。実は郁恵さんは渡辺さんだけでなく、同居するお母さんの面倒も見ているとのことです。恒例のお母さんを郁恵さんは運転して病院に連れていくこともあるようです。もともとお母さんは神奈川県の厚木に住んでいたそうですが、呼び寄せる形で世田谷区成城の自宅で同居することになり、時々郁恵さんは、お母さんの思い出の地である厚木に連れて行っているようです。さらに郁恵さんは渡辺さんのご両親に対しても、実の親のように接しているそうです。結婚して間もない頃から夫婦で毎月仕送りをし、頻繁に旅行にも連れていかれているようです。渡辺さんは一人っ子で、郁恵さんとご両親の住む栃木県小山市よく訪れていたそうです。嫁姑の中も良好で料理の上手なお義母さんを慕っていたといいます。お義母さんはすでに他界されているそうですが、お義父さんはご健在で施設に入居されており、郁恵さんはとても気にかけているそうです。

郁恵さんはいわゆる多重介護ともいえる状況を続けている郁恵さんですが、二人の息子さんが郁恵さんを支えている様子が葬儀後のインタビューでもうかがえました。これからも実母や義父とも、暖かく暮らしていただきたいと思います。

現在日本では老々介護が社会問題として取り上げられることが多くなっています。郁恵さん自身も還暦を越えられ、無理をなされないことをお祈りしています。二人の息子さんには私語を頑張るとともに、母親の郁恵さんの力になって欲しいものです。

郁恵さん、お疲れ様です。

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