佐藤蛾次郎の一生に涙が止まらない

国民的人気映画「男はつらいよ」シリーズにも出演した、俳優の佐藤蛾次郎さんが、2022年12月10日に東京都世田谷区の自宅で亡くなっていたことが分かりました。78歳でした。

佐藤蛾次郎さん訃報

関係者によると10日午前10時過ぎに東京都世田谷区の自宅で風呂につかった状態で動かなくなっているのを、訪れた親族が発見し、119番通報したとのことです。遺体に目立った傷などはなく、その場で死亡が確認されました。捜査関係者の調べによりますと、事件性は今のところはないということです。

佐藤蛾次郎さんは独り暮らしで様子を伺いに親族の方が頻繁にご自宅を訪れていたと言います。亡くなったことが確認された前日にも、昼前に長男が訪れて様子を確認されていたとのことです。警視庁が詳しい状況を調べているそうです。

佐藤蛾次郎さんは、国民的人気映画「男はつらいよ」シリーズなど、多くの映画やテレビドラマに出演し、活躍されていました。「男はつらいよ」の舞台となった東京都葛飾区の柴又では、寅さんの弟分「源ちゃん」役として親しまれた蛾次郎さんをしのび、亡くなったことを悲しむ声が聞かれたとのことです。寅さんの実家のモデルとなっただんご屋の社長、石川宏太さんは、「蛾次郎さんは映画の前のドラマが始まった頃から来てくれていて、とても気さくな方でした。ひとり、またひとりと、なじみの俳優さんが亡くなってしまうのは、柴又の人間としてとても寂しいです。」と話していました。

千葉県から柴又を訪れていた夫婦は「寅さんは子供の頃から見ていましたし、びっくりしたのと同時に、同世代の俳優なので寂しいです。」と話していました。

江戸川区の60代の男性は「『男はつらいよ』シリーズは子供の頃から、年末年始とお盆に欠かさず50年近く見続けていたので、亡くなったと聞いてとても残念です。」と話していました。

商店街で仏具店を営む男性は「撮影で店の前を通るときに必ず挨拶してくれて、個人的にお話をしていたため、親しい知り合いが亡くなったような気持ちです。『寅さん』でなじみの俳優がひとりひとりいなくなっていく寂しさを感じています。」と話していました。

生い立ち

佐藤蛾次郎さんは、本名を「佐藤忠和」と言い、大阪府出身で、1944年8月9日生まれです。1953年に朝日放送児童劇団に入団します。1961年に「神州天馬侠」の泣き虫蛾次郎を演じてから、芸名を「佐藤蛾次郎」としました。1968年にはテレビドラマ「男はつらいよ」に出演し、1969年からは映画での「男はつらいよ」に出演していました。柴又題経寺の寺男源吉役として出演後、最終作の1995年まで出演し続けました。

ファンからは全50作すべてに出演したと思われていますが、第8作の「男はつらいよ 寅次郎恋歌」のみポスターに名を重ねているものの、撮影直前に交通事故交通事故に遭い緊急入院したため出演していません。2018年11月4日に開かれた「寅さんサミット」で佐藤蛾次郎さんは、当時のことについて「(自分が)助手席に乗っていたBMWが、100キロでガードレールに突っ込んじゃった。肋骨が5本折れた。」と告白し、「2か月の重体。ワンカットも出られない。しょうがないね。」と残念な思いを語っていました。ちなみに1970年代から1980年代にはアフロヘアーにしていたそうで、テレビドラマとして放送された「柳生一族の陰謀」、映画では「戦国自衛隊」、またテレビドラマの時代劇「服部半蔵 影の軍団」などでも丁髷のカツラを被らず出演していました。人の良い男をコミカルに演じ、そのヘアスタイルを佐藤蛾次郎さんの売りにしていました。

家族

息子さんがおり、名前を佐藤亮太さんと言います。調べてみると1988年生まれの「佐藤亮太」さんがおり、佐藤蛾次郎さんの息子は1973年生まれの「佐藤亮太」さんです。同姓同名で混同されているようです。

佐藤蛾次郎さんの息子は、特撮ヒーロー作品「魔弾戦記リョウケンドー」で佐藤蛾次郎さんが演じた源公をモデルとしたキャラクター「ガジロー」を演じています。「トミカヒーローレスキューフォース 爆裂MOVIEマッハトレインをレスキューせよ!」の同時上映作「爆走!トミカヒーローグランプリ」では、父・佐藤蛾次郎さんと親子共演を果たしています。

奥さんは元女優の方で、姓が変わって佐藤和子さんと言います。馴れ初めは、同じ俳優業ということで仲良くなったのでしょう。43年間もの長きにわたって佐藤蛾次郎さんと連れ添っていたそうです。奥様の死因は、多発性骨髄腫という恐ろしい病気でした。この病気は異物から身体を守ってくれる細胞が、がん細胞になってしまうというとても重篤な病気で、葬儀の後の佐藤蛾次郎さんの記事は、辛い気持ちを何とか抑えた様子となっていました。「これからは猫3匹とひとり暮らしだよ。」と、和子さんの葬儀を済ませたときはとても寂しそうだったようです。続けて「嫁いだ長女には孫もいるんだ。」と笑顔も見せて気持ちを切り変えようとしていた様子に見えたそうです。

カラオケスナック

佐藤蛾次郎さんは、俳優業をいつまでされていたのかわかりませんが、カラオケスナックを経営されていたようです。意外かもしれませんが、佐藤蛾次郎さんは料理が得意で、その腕前をバラエティ番組「ふるさとZIP探偵団」で披露していたり、東京都中央区銀座で「蛾次ママ」を経営されていました。常連客には千葉真一さん、桜木健一さん、小沢真珠さん、矢部美穂さん、渡嘉敷勝男さん、城咲仁さん、猫ひろしさんなどがいるそうです。かつて経営していたカレーハウスで出されていた二日酔いしない薬膳カレーを「蛾次ママ」では「寅さんカレー」として限定裏メニューになっていたそうです。この店はもともと佐藤蛾次郎さん自身と奥さんと息子さんとで経営していたらしいです。薬膳酒の知識も豊富で自分で作った薬膳酒を山田洋次監督飲酒させたところ、酔いつぶれた山田洋次監督が寝込んでしまい「男はつらいよ」の撮影が一時ストップしてしまったというエピソードがあります。

「男はつらいよ」の共演者・前田吟さん(佐藤蛾次郎さんと同じ年)からは、「蛾次やん」の愛称で仲良くされたそうです。持ち前の面倒見の良さから、松田優作さんら当時の若手俳優からは「蛾次兄」と慕われていました。

気になる佐藤蛾次郎さんの稼ぎや年収ですが、一般的な飲食店経営では、経営者になったところでいきなり売上があるわけではないでしょう、起業して最低3年は我慢が必要だと言われています。佐藤蛾次郎さんのケースでは穂本人が有名人ということもあり、それだけで集客力がありそうです。それなので佐藤蛾次郎さんの年収ベースは最低でも800-1000万円の年収とみられています。

普段はコミカルな雰囲気を漂わせている「男はつらいよ」の源公と異なり、長髪を束ねてダンディーな感じをさせていたそうです。長髪にしている理由は「男はつらいよ」の源公を演じたとき既にスケジュールが多忙で、散髪に行けず、気が付いたら長髪が似合っていたと本人が語っています。

昭和の名バイプレーヤーが、またひとり亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

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