日本のテレビドラマ史において、これほどまでに「良心」という言葉が似合う俳優がいるでしょうか。 俳優・山本學(やまもと がく)。 かつて社会現象を巻き起こしたドラマ『白い巨塔』で、田宮二郎演じる財前五郎と対峙し、正義を貫く医師・里見脩二を演じたその姿は、半世紀近く経った今も多くの人々の心に深く刻まれています。
1937年生まれ、現在88歳(2025年時点)。 昭和、平成、令和と第一線を走り続けてきた名優は今、新たな「人生の役柄」と向き合っています。それは「老い」、そして「軽度認知障害(MCI)」という現実です。
本記事では、華麗なる芸能一族「山本家」の長男としての生い立ちから、国民的俳優への階段を駆け上がった代表作の数々、そして80代後半を迎えて公表した病との向き合い方まで、山本學さんの半生と現在を徹底的に掘り下げてご紹介します。
Contents
山本學 プロフィールと「華麗なる芸能一族」
まず、山本學さんを語る上で欠かせないのが、その華々しい出自です。彼は単なる俳優ではなく、日本の芸術文化を支えてきた「山本一族」の長男として生を受けました。
華麗なる家族構成
山本さんは、よく「二世俳優」と勘違いされますが、お父様は俳優ではありません。しかし、その環境は芸術に満ち溢れていました。
- 父:山本勝巳(建築家) 日本の近代建築に貢献した著名な建築家。
- 叔父:山本薩夫(映画監督) 『白い巨塔』『戦争と人間』『あゝ野麦峠』など、社会派映画の巨匠として知られる監督。山本三兄弟は、この叔父の影響を多大に受けています。
- 弟(次男):山本圭(俳優) ドラマ『若者たち』や『ひとつ屋根の下』で知られる名優。(2022年逝去)
- 弟(三男):山本亘(俳優) 舞台を中心に、個性派俳優として現在も活躍中。
このように、兄弟全員が俳優という稀有な環境で育ちました。成蹊大学を中退後、劇団俳優座の養成所(第7期生)に入所。ここから、半世紀以上にわたる俳優人生がスタートします。
運命を変えた役柄:『白い巨塔』の里見脩二
山本學さんのキャリアを語る上で、絶対に避けて通れないのが1978年のテレビドラマ『白い巨塔』(フジテレビ系)です。
「動」の財前、「静」の里見
このドラマで彼が演じたのは、浪速大学医学部第一内科助教授・里見脩二。 田宮二郎さんが演じた、権力と名誉を追い求める天才外科医・財前五郎とは対照的に、出世には一切興味を示さず、ひたすらに患者の命と向き合う「良心的な医師」の役でした。
- 演技の真髄: 当時、山本さんは40代前半。ギラギラとした野心をむき出しにする田宮二郎さんの演技に対し、山本さんは決して声を荒らげず、知的で静かなトーンで正論を語る演技を貫きました。この「静と動」のコントラストがドラマに深みを与え、視聴者は「理想の医師像」を山本學さんに重ねたのです。

後世への影響
その後、『白い巨塔』は何度もリメイクされました(江口洋介さんや松山ケンイチさんなどが同役を演じています)。しかし、往年のドラマファンの間では、未だに**「里見先生といえば山本學」**という声が根強く残っています。それほどまでに、彼の演じた里見助教授は完璧であり、彼の俳優としてのパブリックイメージを決定づけるものとなりました。
お茶の間の顔へ:『ケンちゃん』シリーズのお父さん
シリアスな役柄の一方で、山本學さんは全く異なる顔も持っていました。それが、TBS系列で放送された国民的子供番組『ケンちゃん』シリーズでの父親役です。
理想の「パパ」像
1970年代から80年代にかけて、彼は『ケーキ屋ケンちゃん』などで父親役を好演しました。 ここでは、『白い巨塔』で見せた苦悩する知識人の顔は一切封印。エプロン姿が似合う、優しくて少しおっちょこちょいな、子供たちの味方である「お父さん」を演じました。
このギャップこそが、山本學さんの凄みです。 夜のドラマでは日本の医療問題を問う重厚な演技を見せ、夕方の子供番組では笑顔の絶えないパパを演じる。これにより、彼は老若男女問わず愛される「お茶の間の顔」としての地位を不動のものにしました。
私生活の波乱と、独り身の現在
順風満帆に見える俳優人生ですが、その私生活は決して平坦ではありませんでした。
女優・水野久美との結婚と別れ
1966年、山本さんは『ゴジラ』シリーズなどで知られる人気女優・水野久美さんと結婚しました。美男美女のカップルとして話題になりましたが、結婚生活はわずか3年で終わりを告げます(1969年離婚)。二人の間に子供はいませんでした。
その後、一般女性と再婚し、長きにわたり連れ添いましたが、その奥様とも死別(あるいは離別)されています。
弟・山本圭との別れ
2022年には、同じ俳優座出身であり、共に日本のドラマ界を牽引してきた弟の山本圭さんが肺炎のため81歳で逝去されました。 「山本三兄弟」として共に歩んできた弟の死は、山本學さんにとっても大きな喪失であったと想像されます。

現在、山本さんは独身。都内の自宅で一人暮らしをされています。しかし、その生活は決して寂しいものではありません。むしろ、88歳にして「自立した生活」を楽しむ達人でもあります。
【最新情報】MCI(軽度認知障害)の公表と「老いの作法」
2025年現在、山本學さんが最も注目されている理由の一つが、ご自身の健康状態に関する勇気ある公表です。
88歳での告白
山本さんは近年、自身が**MCI(軽度認知障害)**であることを公表しました。MCIとは、認知症の一歩手前の段階であり、適切な対処をすれば進行を遅らせたり、改善したりする可能性がある状態です。
きっかけは3年前。自宅で「幻視」が見えるようになったことだといいます。 しかし、山本さんはそこで悲観することはありませんでした。 「白内障、緑内障、がん、そして認知障害。これらは長生きしたからこそ出会えたもの。最期まで付き合っていこう」 そう腹を括り、専門医と共にリハビリや生活改善に取り組んでいます。
著書『老いを生ききる』の出版
2025年10月、彼はその体験を綴った著書**『老いを生ききる 軽度認知障害になった僕がいま考えていること』**を出版しました。 この本の中で語られているのは、単なる闘病記ではありません。
- 一人暮らしの自炊: 毎日の食事を自分で考え、料理すること自体が脳への刺激になる。
- 掃除と洗濯: ヘルパーさんに頼りすぎず、できることは自分で行う。
- 社会との関わり: 俳優としての仕事を続けることが、最大の活力。
これら具体的な「暮らしの工夫」は、超高齢化社会を迎えた日本において、多くのシニア層、そしてその家族にとっての希望のバイブルとなっています。
俳優・山本學の現在地(2025年の活動)
「老い」を受け入れながらも、山本學さんは現役の俳優として輝き続けています。
テレビ・映画への出演
- 『徹子の部屋』(2025年12月出演): 黒柳徹子さんと共に、弟・圭さんへの想いや、現在の「おひとりさま生活」の楽しさを語り合いました。
- 映画『雪の花 ―ともに在りて―』(2025年公開): 松坂桃李主演の時代劇にて、大庄屋の主人役として出演。短い出演時間でも画面を引き締める存在感は健在です。
- 日曜劇場『キャスター』(2025年): 社会派ドラマの重鎮として、物語の鍵を握る役どころを演じています。
かつてのような主役級の出番は減ったかもしれませんが、その深みのある声、佇まい、そして皺の一つ一つに刻まれた人生経験が、作品にリアリティを与えています。
まとめ:山本學が教えてくれること
『白い巨塔』の誠実な医師から、『ケンちゃん』の優しいパパへ。 そして今は、老いと病を隠すことなくありのままに晒し、それでも凛として生きる一人の人間へ。
山本學さんの人生は、常に「誠実であること」で貫かれています。 役に対して誠実であり、家族に対して誠実であり、そして何より、自分自身の老いに対して誠実であること。
88歳を迎えた彼が今、私たちに見せてくれているのは、演技を超えた**「生きる作法」そのもの**なのかもしれません。MCIという新たなハードルさえも、人生の脚本の一部として受け入れ、演じ切ろうとするその姿勢に、私たちは改めて名優・山本學の凄みを感じるのです。
【関連作品・データ】
■ 山本 學(やまもと がく)
- 生年月日: 1937年1月3日
- 出身地: 大阪府(東京育ち)
- 所属: SHIN ENTERTAINMENT(業務提携)
■ 主な出演作(抜粋)
- ドラマ: 『白い巨塔』『三姉妹』『天と地と』『新・平家物語』『草燃える』『春の波涛』『水戸黄門』『ケンちゃんシリーズ』
- 映画: 『戦争と人間』シリーズ、『皇帝のいない八月』『四十七人の刺客』『峠 最後のサムライ』
- 著書: 『老いを生ききる 軽度認知障害になった僕がいま考えていること』(2025年・青志社)
