布施明さんの病気は? - 元妻の訃報、再婚しの現在は大病?

 「シクラメンのかほり」、「君は薔薇より美しい」など、昭和の大ヒット曲を持つ、歌唱力抜群の歌手・布施明さん。直接聞いた世代ではなくても、モノマネ番組で聞いて、曲を知っている人も数多くいると思います。
 そんな布施明さんは、二度結婚しており、最初の結婚は、布施明さんが歌った「君は薔薇より美しい」が使われたカネボウ化粧品のCMに出演された、アルゼンチン生まれのイギリスの女優オリヴィア・ハッセーさんで、2024年12月27日に亡くなったとの訃報がありました。
 現在の妻で二度目の結婚相手は、TBSのテレビドラマ「男女七人秋物語」の主題歌として大ヒットした「SHOW ME」を歌う森川由加里さんです。
 そんな布施明さんのプライベートな部分を調べてみました。

 布施明さんは、本名「布施晃」といい、1947年12月18日生まれ、東京都三鷹市のご出身です。ザ・ピーナッツに憧れて歌手を目指すようになりました。
 オーディション番組「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」で合格し、憧れのザ・ピーナッツの所属する渡辺プロに所属し1965年「君に涙とほほえみを」でデビューしました。デビュー当時には、渡辺プロの先輩歌手である伊東ゆかりさんや園まりさんなどのステージの前座も経験されたそうです。

 しばらくの間は、ヒット曲に恵まれながらも賞レースとは長らく縁がない「無冠の帝王」でしたが、1975年にシンガーソングライター小椋佳さんより提供された「シクラメンのかほり」の大ヒットとミリオンセラー達成により、「第17回日本レコード大賞」「第6回日本歌謡大賞」「(FNS歌謡祭での)最優秀グランプリ」など、数多の賞を総なめにしました。
 その後も「傾いた道しるべ」「陽ざしの中で」「落葉が雪に」「君は薔薇より美しい」「恋のサバイバル」等のヒット曲を連発することになります。

 そんな活躍をされている時に、オリヴィア・ハッセーさんと出会うことになります。その出会いは、当時カネボウ化粧品のCMに出演していたオリヴィア・ハッセーさんと、そのCMソングを布施明さんが担当したことがきっかけだったそうです。
 当初は「趙遠距離恋愛」であったり、「言葉の壁」があったものの、オリヴィア・ハッセーさんが極秘で日本に来日したり布施明さんがオリヴィア・ハッセーさんの豪邸を訪問したりして愛を育んでいきました。また、会えない時は国際電話で話すなどして乗り越えていったと言います。
 当時、オリヴィア・ハッセーさんには1971年に結婚した相手との間に、8歳の一人息子であるアレキサンダー君がいましたが、アレキサンダー君が布施明さんになついていた為1980年に無事結婚に至ることができました。
 結婚後は、仕事も含めアメリカを拠点に活動することに決め布施明さんが渡米しています。
 1983年にオリヴィア・ハッセーさんとの間に息子のマクシミリアン君が生まれました。可愛い息子も生まれ、順風満帆かと思いきや布施明さんの仕事は海外ではなかなか上手くいかず徐々に二人の間にすれ違いが起きました。最終的には1989年に離婚し布施明さんは日本へ帰国しました。
 当時オリヴィア・ハッセーさんへの慰謝料が3億円と報道されるも布施明さんはこれを記者会見で否定しています。ただ仮に本当だとしても「はい、その通りです。」と言うようなことではないと思います。仮に高額慰謝料(養育費)の3億円という金額が本当だとしたら、現在でも日本の芸能界において高額慰謝料ランキングに3位程度ではと言われています。
 慰謝料(養育費)が高額になった理由についてご本人からは明らかにされていません。
 来日前のオリヴィア・ハッセーさんはハリウッド俳優として、代表作に「ロミオとジュリエット」のジュリエット役を務めて注目された女優の一人でした。ハリウッド俳優がゆえの金銭感覚で高額慰謝料の請求になったのかもしれません。

 さて、離婚理由ですが表向きは夫婦で送る生活のすれ違いとしていました。しかし内情は違っていたようです。
 実際は、オリヴィア・ハッセーさんが15歳年下の恋人と不倫をしたことが原因のようです。アメリカの生活では、オリヴィア・ハッセーさんとの間に授かった息子さんと楽しく生活をしていたようですが、不倫を許すわけにはいかなかったようです。
 マクシミリアン君の親権は、オリヴィア・ハッセーさんが持ち、布施明さんが養育費を払うことで離婚は成立しました。特に国際結婚では、子どもがいた場合かなり揉めてしまうケースが多いようです。そして、「連絡は取っている。」と語るように、ギスギスした関係ではないとしています。
 息子のマクシミリアン君は、既に40歳を超えています。いくつか写真が公開されていますが、美男美女の子どもだけにかっこいい男性に成長しています。どちらかと言えば布施明さんに似ていると言われています。仕事に関する情報はありませんでしたので、俳優など芸能に関わる仕事ではないのかもしれません。
 オリヴィア・ハッセーさんは、2024年12月27日に亡くなったと、本人のインスタグラムで発表されました。73歳でした。自宅で家族に見守られながら息を引き取ったとのことです。死因は明らかにされていないが、過去に乳がんを患っていたので、がんと思われます。
 布施明さんも再婚しましたが、マクシミリアン君と今でも連絡を取ったり、たまには会うことはあるかなど気になるところです。

 布施明さんは離婚後、しばらくたって2013年4月に森川由加里さんと結婚したことを発表しました。
 森川由加里さんは、本名を「布施由加里」といい、1963年4月12日生まれ、東京都葛飾区の出身です。
 飄々とした姉御肌の性格であり、見ていて清々しい気風の良さで人気を集めた歌手・タレントでした。歌唱力にも定評があり、数々の賞の受賞しています。
 趣味は、石粘土オブジェ製作、写真、帽子集めなどであり、デビュー当時は帽子を常にかぶっていたためトレードマークともいえました。
 高校卒業後森川由加里さんは、株式会社日音に在籍していました。この会社は音楽出版社で、自社オリジナル作品の開発や著作権の管理、その他アーティストのプロモーションなど多岐にわたる事業を展開しています。
 森川由加里さんは、この会社でコンサートやライブステージのスタッフとして働いていたそうです。仕事の打ち上げなどで披露していたカラオケの評判が良く、その高い歌唱力と類まれなる美貌から周囲からタレントになるように勧められました。
 シンガーソングライターである佐藤竹善さんのボイストレーニングを受けた後、1984年に音楽番組「ポッパーズMTV」のアシスタントとしてテレビデビューを果たしました。
 森川由加里さんは、1987年7月に六本木ロリーポップでデビューライブを行い、ファーストシングル「雨のカルメン」で晴れて歌手デビューを果たします。そして、その年1987年10月に、森川由加里さんの代表曲となるセカンドシングル「SHOW ME」をリリースしTBS系ドラマ「男女7人秋物語」の主題歌に採用されたこともあり、スマッシュヒットを記録します。この曲はカバー・ガールズのデビューシングルで、日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1987年に12週連続1位を獲得した人気の楽曲です。森川由加里さんがカバーして更にヒットさせました。
 第2回ゴールドディスクグランプリの「ザ・ベスト・シングル・オブ・ザ・イヤー」「ザ・ベスト・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」「第20回日本有線大賞新人賞」「第7回JASRAC賞外国作品賞」など数々の賞を受賞しました。
 さらにその後は、「SHOW ME」で数々の賞を受賞した森川由加里さんは、持ち前のボーイッシュなキャラクターがウケてバラドルとしてバラエティ番組でも人気を博すようになります。また、ドラマに出演して女優デビューを果たし、CMにも出演されています。

 2013年当時、布施明さんは65歳、森川由加里さんは50歳の15歳差の熟年婚として話題になりました。森川由加里さんは初婚ですが、布施明さんは再婚でした。
 布施明さんと森川由加里さんは、音楽を通じて知り合い、長年友人関係だったそうです。
 2013年の結婚発表の数年前から、森川由加里さんのバースデーライブで布施明さんの姿が観客席で確認されており、逆に布施明さんのライブに森川由加里さんが目撃されていたようです。また、2011年末に森川由加里さんがリリースした25周年記念アルバムの収録曲でバックコーラスを布施明さんが務めるなど、アーティストとして共演もしていました。
 友人関係だった二人が令愛関係に発展したきっかけは、布施明さんが初期の大腸がんで手術をしたとき、森川由加里さんがつきっきりで献身的に看病したことから愛が芽生えたようです。ちなみに森川由加里さんが「病気ではないか」と検索する人が多いようですが、布施明さんが病気をしたことと混同していると思われます。
 そして、森川由加里さんが人生に必要な存在だと感じた布施明さんが、プロポーズを決行しました。森川由加里さんと布施明さんは熟年結婚ですので、二人の間には子供はいません。

 布施明さんの出身は東京都三鷹市ですが、長年横浜市に住んでいたそうです。横浜というと港町をイメージしがちですが、面積が広い都市ですからいろいろな場所があります。
 布施明さんが暮らしていたのは横浜市青葉区で渋谷まで電車で30分あれば行ける便利な地位に住んでいました。布施明さんが暮らしていたのは、横浜市立荏子田小学校近くということらしいです。まさに落ち着いた住宅地が立ち並んでいるところでした。
 白い洋風の立派な一軒家で、「FUSE」というローマ字表記の表札がマッチしていたと言います。敷地面積はかなり広く、ガレージもたっぷりとっており、車が2台止まっていたそうです。家に合わせた白い塀も、とてもおしゃれで素敵だったそうです。さわやかなイメージの布施明さんにピッタリの住まいでした。
 しかし、この家は2015年に売却後、取り壊されてしまったようです。そして土地はいくつかに分割されて、数軒の家が建っているといいます。
 森川由加里さんとは2013年にご結婚されていますので、この家には2年住んでいたということになります。
 推測ではありますが、「新天地で二人で仲良く暮らそうか」という話にでもなったのではないでしょうか。
 現在、どこに暮らしているのか公表はされていないようです。

 以前は長者番付ということで、税務署が高額納税者名簿として納税金額が多い方を公表していましたので、著名人の年収がわかったのです。それを見て、さすがに芸能人は違うなと思った人も多かったでしょう。しかし、2006年に公表は廃止されます。それ以降は、著名人の年収は、本人が公表でもしない限り推定となっています。
 布施明さんも、1975年の長者番付で歌手部門の9位にランクインしたことがありました。経費を引いた所得額は、5408万円もありました。現在よりも物価が安い時代でしたから、かなりお金を使っても余ったのではないでしょうか。
 布施明さんは、かなり裕福な暮らしをしていたのでしょう。

 時代は移り変わり、YouTubeなどのSNSで芸能人も稼ぐ時代になりました。
 布施明さんも「布施明-Fuse Akira Official- 」というYouTubeチャンネルを2019年11月に開設されています。2022年4月の推定収入は138万円もあったようですが、平均して月収20万円から30万円ほどありそうです。
 他にもテレビやコンサートに出演するなど、YouTube以外の収入がきちんとあります。特にコンサートは全国を回っているので、年収として数千万円あるのではないでしょうか。
 1975年の約5千万円という水準にはおよばないでしょうが、それでも一般人にはとても稼げない収入を維持されているようです。

 以前、布施明さんは大病を患ったことがあります。2012年頃の事だったようです。
 布施明さんは、母親の介護をし終えた後に体調を崩してしまいました。肺炎になって入院せざるを得なかったそうです。
 布施明さんの父親が大腸がんで死亡していた為、その入院中に検査してもらったと言います。すると偶然にも初期の大腸がんが見つかったのです。すぐに手術して取り除いてもらいました。
 偶然にがんが見つかるとは、かなりの強運の持ち主ともいえるでしょう。
 その後がんの再発など公表はありませんので、完治したのだと思われます。
 また、2019年に喉の調子がおかしいと病院に行くと「声帯ポリープ」があると診断されました。除去手術を受けることになったのですが、なんとその直前にポリープが消失したというのです。そのためこの時の手術は回避できました。
 歌手にとり喉の手術には相応のリスクも考えられますが、ここでも強運を発揮されたようです。現在は病気もなく元気にご活躍です。

 いまでも若さを保ち続けていますが、離婚を経験し、家族の介護問題もあり、年相応のストレスもあるので、往年と比較すると、年老いた感じは否めません。
 布施明さんは、自身が在籍している「有限会社馬力屋」において代表取締役を務めているようです。他にも、サン・オフィスやエム・アールなどという芸能事務所と業務提携を結んでいます。テレビで見かけることが減ったと感じるのは、経営者側となって所属タレントのために活動していることが要因かもしれません。
 若かりし頃の恋愛経験を経て、現在は公私ともに順調な布施明さんです。経営者としても、またコンサートを精力的に行うなど、活発に芸能活動もされています。病気もされていたようですが、何時までもその歌声を楽しませていただきたいと思います。
 健康には十分に注意され、長く活躍されるようにして欲しいと思います。

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