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はじめに:なぜ今、橋爪功なのか?
2024年から2025年にかけて、テレビドラマや映画のエンドロールで、この人の名前を見ない日はありません。 橋爪功(はしづめ いさお)。
御年83歳(2024年現在)。同年代の俳優たちが現役を退いたり、惜しまれつつこの世を去ったりする中で、橋爪功さんだけは、まるで時が止まったかのように、いや、むしろ年々そのエネルギーを増幅させているように見えます。
岡田将生さんとW主演を務めたドラマ『ザ・トラベルナース』での、毒舌ながらも愛のある「スーパーナース」役は、若い視聴者層からも「最強のツンデレおじいちゃん」「あんな風に歳をとりたい」と熱狂的な支持を集めました。
なぜ彼は、これほどまでに長く、第一線で求められ続けるのでしょうか? 飄々とした佇まいの裏に隠された、壮絶な下積み時代、演劇への異常なまでの情熱、そして知られざる家族との物語。今回は、日本が誇る怪優・橋爪功さんの「役者人生」を、深掘り記事としてお届けします。
第1章:大阪の秀才が「役者」に狂うまで
エリート高校からのドロップアウト?
橋爪功さんは、1941年(昭和16年)、大阪府大阪市東住吉区に生まれました。 実は彼、関西では知らぬ者のいない名門・大阪府立北野高校の出身です。手塚治虫さんや橋下徹さんなどを輩出した超進学校で、当然のように周囲は東大や京大を目指す環境でした。
しかし、橋爪少年は勉強よりも映画に夢中でした。映画館に通いつめ、スクリーンの向こう側の世界に憧れを抱きます。 「自分以外の誰かになれる」。 その単純かつ強烈な魔法が、エリート街道を歩むはずだった少年の人生を大きく狂わせ(あるいは導き)ました。
東京への脱出と「文学座」への挑戦
高校卒業後、「役者になりたい」という一心で上京。1961年、当時の演劇界の最高峰であった**「文学座」**の附属演劇研究所に第1期生として入所します。
この「1期生」という響きは華やかですが、その倍率は凄まじいものでした。同期には、後に大女優となる樹木希林(当時は悠木千帆)さんや、名優・小川真由美さんらがいました。まさに「黄金の卵」たちがひしめき合う、才能のるつぼに飛び込んだのです。
第2章:長すぎた「下積み」と演劇界の革命
「裏切り者」と呼ばれても
橋爪さんの役者人生を語る上で欠かせないのが、若き日の**「劇団雲」への分裂騒動**、そして**「演劇集団 円」の創立**です。
1963年、文学座のエースだった芥川比呂志さんらを慕い、橋爪さんは文学座を飛び出します(劇団雲への参加)。当時、演劇界は思想や芸術性を巡って激動の時代。若き橋爪さんは、権威にすがるのではなく、「自分が信じる芝居」を追求するために、安定した場所を捨てることを選びました。
その後、1975年には、芥川比呂志さん、仲谷昇さん、岸田今日子さんらと共に、現在も続く名門劇団**「演劇集団 円」**の設立に参加します。 今の橋爪さんからは想像できないかもしれませんが、当時は「演劇界の革命児」たちの一員として、血気盛んな日々を送っていたのです。
食えない時代の「美学」
しかし、劇団を立ち上げたからといってすぐに食べていけるわけではありません。 20代から30代にかけての橋爪さんは、舞台が主戦場。テレビドラマの端役や映画のチョイ役はありましたが、世間的な知名度は決して高くありませんでした。
当時の演劇人は「テレビに出るのは魂を売ることだ」と考える風潮もありました。しかし橋爪さんは、生活のためにあらゆる仕事をこなしながらも、舞台の上では圧倒的な演技力で観客を唸らせていました。 「芝居が上手いのは当たり前。いかに観客の呼吸を支配するか」。 この長い下積み時代に培われた、舞台役者特有の「空間支配力」こそが、現在の橋爪さんの演技の根幹――あの独特の間の取り方や、小声でも響く発声――に繋がっています。
第3章:遅咲きのブレークと「名脇役」の称号
40代で見つかった「普通のおじさん」の狂気
橋爪功さんがお茶の間の「顔」として認識され始めたのは、40代に入ってからと言われています。いわゆる「遅咲き」の部類です。
転機となった作品は数多くありますが、多くの人が記憶しているのは、1980年代から90年代にかけてのテレビドラマでの活躍でしょう。 特に、『家政婦は見た!』シリーズ(テレビ朝日系)や、2時間サスペンスドラマでの「犯人かと思わせて犯人じゃない、でもやっぱり怪しい」役どころは、橋爪さんの独壇場でした。

彼は二枚目スターではありません。どこにでもいそうな「商店街のオヤジ」や「くたびれたサラリーマン」を演じさせたら日本一でした。しかし、その「普通さ」の中に、ふと見せる冷徹な目線や、人間の業のようなものを滲ませる。そのギャップが、視聴者を惹きつけました。
社会現象になった『ずっとあなたが好きだった』
そして1992年、社会現象となったドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)。 佐野史郎さん演じる「冬彦さん」のインパクトが強烈でしたが、その冬彦さんの父親役を演じたのが橋爪さんでした。 エリート意識の塊で、家庭を顧みず、歪んだ家族関係の元凶とも言える父親役。その憎々しくもリアルな演技は、「こういう嫌な親父、いるよね」という共感を呼び、役者としての評価を不動のものにしました。
声の魔術師として
また、橋爪さんを語る上で外せないのが**「ナレーション」**です。 紀行番組『世界ウルルン滞在記』での、温かく、時に茶目っ気たっぷりの語り口。「〜なのであーる」といった独特のフレーズは、日曜夜の癒やしとして日本中の家庭に響きました。 声だけで、その場の空気感や温度を伝える技術。これもまた、舞台で鍛え上げた表現力の賜物です。
第4章:プライベートの素顔、父としての葛藤
2度の結婚と家族
私生活では、若い頃に一度離婚を経験されており、現在の奥様とは再婚です。奥様は一般の方で、長年橋爪さんの奔放な役者人生を影で支えてこられました。 お子さんは、息子さんと娘さんがいらっしゃいます。

息子・橋爪遼との関係と「責任」
息子である橋爪遼(りょう)さんも、かつては俳優として活動していました。 しかし2017年、遼さんが覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されるという衝撃的な事件が起きます。 この時、橋爪功さんは75歳。本来なら隠居していてもおかしくない年齢での、息子の大不祥事でした。
報道陣に囲まれた橋爪さんの対応は、世間に強い印象を残しました。 「親としての責任は感じるが、あいつも大人だ。大人として自分の始末をつけるべきだ」 と突き放しつつも、憔悴した表情には父親としての深い悲しみが刻まれていました。
一部では「活動自粛か」とも囁かれましたが、橋爪さんは**「役者として板の上に立ち続けること」**を選びました。 「私が仕事を休んだところで、誰のためにもならない。現場に迷惑をかけない限り、私は演じる」 その毅然とした態度は、多くの同業者やファンからの支持を集めました。この苦難を乗り越え、芝居に昇華させたことで、彼の演技にはさらなる凄みが加わったとも言われています。
第5章:80代の「アイドル」へ。進化する橋爪功
若手俳優が憧れる「理想のジジイ」
そして現在。80代に突入した橋爪功さんは、かつてないほどの「モテ期」を迎えています。
特に話題となったのが、冒頭でも触れたドラマ**『ザ・トラベルナース』**(テレビ朝日系)です。 岡田将生さん演じる若きエリート看護師と、橋爪さん演じる謎多きスーパー看護師・九鬼静(くき しずか)のバディ関係。 九鬼静は、物腰は柔らかいけれど、核心を突く毒を吐く。しかし、患者への愛は誰よりも深い。この役柄は、まさに橋爪さんのキャリアの集大成とも言えるハマり役でした。
岡田将生さんもインタビューで、「橋爪さんのお芝居には嘘がない。目の前で起こることに反応して、僕たちを引っ張ってくれる」と最大級の賛辞を送っています。若手に媚びるわけでもなく、偉そうにふんぞり返るわけでもない。ただ「面白い芝居」のために全力を尽くすその姿勢が、世代を超えて愛される理由です。
映画『銀河鉄道の父』での祖父役
2023年公開の映画『銀河鉄道の父』では、宮沢賢治の祖父役を好演。 主演の役所広司さん、菅田将暉さんという実力派たちと渡り合い、厳格ながらも家族を想う明治の男を見事に体現しました。 スクリーンに映るだけで、その場の空気が締まる。それでいて、ふとした瞬間に見せるコミカルな表情で観客を笑わせる。その「硬軟自在」の技は、もはや国宝級と言っても過言ではありません。
西田敏行さんとの別れ、そしてこれから
2024年、同時代を共に走ってきた盟友・西田敏行さんが急逝されました。 橋爪さんと西田さんは、数々の作品で共演し、日本のエンターテインメントを支えてきた同志です。同世代の星が一つ消えるたび、橋爪さんの背負うものは大きくなっているのかもしれません。
しかし、彼は湿っぽさを嫌います。 「還暦? 古希? そんなのただの通過点だよ」 と言わんばかりに、2025年に向けてもドラマや映画のオファーが絶えないそうです。
おわりに:橋爪功は、まだ「完成」していない
橋爪功さんの凄さは、「枯れない」ことに尽きます。 一般的に、高齢の俳優は「重鎮」として祭り上げられ、動きの少ない重厚な役が増えるものです。 しかし橋爪さんは、今でも現場で走り回り、大声で笑い、若手俳優たちと対等に喧嘩をし、新しい役柄に挑戦し続けています。
彼を見ていると、「老い」とは「衰退」ではなく、「進化」なのだと思わせてくれます。 シリアスな殺人鬼から、愛すべきスケベ爺さん、そして崇高な精神を持つ聖職者まで。 橋爪功という器には、まだ私たちが知らない「顔」が隠されているに違いありません。
「次はどんな橋爪功が見られるのか」 83歳にして、私たちにそんなワクワクを抱かせてくれること自体が、奇跡のような才能なのです。 これから放送されるドラマや映画で、その唯一無二の存在感を、ぜひ噛み締めてください。
橋爪功(はしづめ いさお)プロフィール
- 生年月日:1941年10月28日
- 出身地:大阪府大阪市
- 所属:演劇集団 円(代表)
- 主な受賞歴:日本アカデミー賞優秀助演男優賞(『東京家族』ほか)、読売演劇大賞など多数
- 代表作:
- ドラマ:『京都迷宮案内』『京都地検の女』『ザ・トラベルナース』『ずっとあなたが好きだった』
- 映画:『東京家族』『家族はつらいよ』『大いなる不在』
- ナレーション:『世界ウルルン滞在記』
