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はじめに:運命の糸を編み続ける女性
一見すると、君島十和子という名前は「美しさ」の代名詞かもしれません。だが、彼女の歩みを追えば、その華やかさはただの表面ではなく、挫折・選択・信念・家族という糧を経た「深さ」によって支えられています。モデル、女優、美容家、起業家、著者、母──そのどの肩書きにも「伝える力」が宿っており、いまもなお光を放ち続けています。
本稿では、芸能界時代の輝きと葛藤、結婚という転機、家族という拠り所、そして現在の挑戦とその先をひとつの線で結びながら、君島十和子という女性が紡ぎ続ける物語を描きたいと思います。
第1章:ステージへ――モデル、女優としての軌跡
1966年5月30日、東京都に生まれた君島十和子(旧姓:吉川十和子)は、若いころからスカウトを受け、モデルの道を歩み始めます。高校時代には既に雑誌モデルとして活動を始め、高校卒業後はファッション誌『JJ』などで活躍。1985年には「JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれるなど、若くして注目を集める存在となりました。

その後、モデルとして築いた信用を背景に女優としてもステージを広げます。1988年にはテレビドラマや舞台に登場し、トレンディドラマが盛んだった時期には多くの支持を集めました。透明感ある佇まいと知性を感じさせる語り口が、彼女を単なる“可愛い顔”以上の存在に押し上げていきました。
しかし、華やかな表舞台には常に光と影がつきまとうもの。モデルという外見の武器を持ちながらも、時には自分自身の価値を試し、役柄や表現を通して自らを超える挑戦を求める日々があったと言われます。
そして、1995年、彼女は人生の大きな選択をする。ファッションデザイナー一族である君島家の一員となる結婚を機に、芸能界から身を引く道を選んだのです。1996年1月の引退宣言がその転機となりました。
この決断には当然、葛藤と覚悟が伴いました。「誰も祝福しなかった結婚」と語るインタビューもあります。彼女自身が、「彼が過去のことを正直に語ってくれたから、すべてを聞いたうえで、それでも共に歩みたいと思えた」と語ったという記事も残っています。
芸能界という舞台を去ったあと、その存在感をどのように残していくのか。その選択自体が、彼女の“生き方の表現”となりました。
第2章:結婚・家族という拠点
結婚の決意と試練
君島十和子が結婚を選んだ相手は、服飾デザイナーで実業家の君島誉幸氏。君島氏は名門ファッションブランド「KIMIJIMA」を築いた君島一郎氏の後継者一家の一員であり、結婚は社会的にも注目される出来事でした。

しかし決して順風満帆な道ではありませんでした。結婚当初は、家族・親戚・自身を取り巻く周囲の反対もあったと伝えられています。「それでも彼との約束が信じられたから」と彼女は語り、互いに厳しい時期を乗り越えることで、「最初の嵐」がふたりを強固なチームにしたと振り返っています。
また、彼とは24時間ほぼ一緒にいる時間を過ごすことが多いようで、互いの“欠陥”を補い合うような関係性を意識しているというエピソードも語られています。たとえば、当初には「占い師からはすぐ別れるだろう」という予言までされたとされるものの、予言は外れ、20年以上にわたる結婚生活を紡ぎ続けているのです。
彼女は、自身にとっての「人生のリミット」が見えてきたと感じており、特に50代に差しかかったあたりで、「60歳までが勝負だ」という意識を持つようになります。FTCブランドをより広く普及させたいという夢を胸に、夫婦共同でその挑戦を支えあっていると語っています。
子どもたちとの絆、母としての願い
夫妻の間には、1997年4月27日に長女・憂樹(ゆうき)さん、2001年10月2日に次女・幸季(みゆき)さんが誕生しました。
長女・憂樹さんは幼い頃から宝塚歌劇団に憧れ、16歳で宝塚音楽学校に合格し、宝塚歌劇団の月組に所属。芸名は蘭世惠翔として活動しました。
2023年4月には宝塚を退団し、本名でタレント・女優活動を始めています。
次女・幸季さんは美容への関心が高く、将来は美容系の仕事に就きたい夢を持っていると言われています。また、2025年春からフランスに留学する予定だという記事もあります。
親子としての関係性は、しばしばメディアで温かく語られます。たとえば、憂樹さんと母・十和子さんがテレビ番組『徹子の部屋』で初の母娘共演を果たした際、十和子さんは「成長した娘を見せられて幸せ」と涙ぐむ場面を見せ、憂樹さんも「母は私にとって、ただの“美の象徴”ではなく母でしかなかった」と語ったと報じられています。
また、娘が宝塚の寮生活を始めたとき、ホームシックに苦しむ娘を気遣いながら、毎週食事を送り、ぬいぐるみを同封したというエピソードも印象的です。
子育て期、十和子さんは「娘たちにも仕事を持ってほしい」と語っており、自己形成の一環としての仕事を尊重する価値観を伝えてきたそうです。
親として、母として、そしてプロフェッショナルとして――彼女は家族を「守るべきもの」でもあり、「伝えたいもの」の一部として大切に扱ってきたのです。
第3章:美容・健康へ ― FTC ブランドと発信活動
フェリーチェトワコからFTCへ
2005年、十和子さんは自身の名を冠したコスメブランド「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ トワコ コスメ)」を設立しました。
その後、ブランド名を FTC(株式会社FTC)へと進化させ、クリエイティブ・ディレクターとして商品企画・広報展開に深く関わるスタンスをとっています。
彼女にとって、ブランド運営は「自分の美容観を形にする場」であり、単なる事業ではなく人生の一環です。商品ひとつひとつには、自らの肌経験、研究、試行錯誤が反映されています。
著作と情報発信の広がり
十和子さんは美容情報の発信者として、多数の著書や連載も手がけています。代表作として『十和子道』『アラ還十和子』などがあり、後者は特に年齢を重ねることのリアルや葛藤とともに、希望を語る内容として読者の共感を集めました。
近年は『君島十和子のおいしい美容「腸活レシピ」』という書籍も発表。腸活をテーマにしたレシピと彼女自身の体験を融合させた内容で、美と健康を食の視点から考える新たな殻を打ち破る一冊となっています。
連載「キレイのための一日一善」などを通じ、「年齢を重ねるほどに似合うものを見つける」「自分らしい装いを探す」といったテーマを語る場も設けています。
発信チャネルとフォーマットの多様化
彼女は紙媒体だけでなく、Instagram、YouTube、ブログといったデジタル媒体を積極的に活用しています。
たとえば、2022年から始めた「腸活クッキングライブ」は、料理をしながらフォロワーとリアルタイムに交流するもので、料理の過程で質問に答えたり臨場感のあるトークを交えたりするなど、双方向性を重んじた発信として好評を博しています。
また、雑誌『婦人画報』などでは、最近インタビューで「やめる美容」というテーマを語っています。無理に手を加えることをやめ、必要なものを研ぎ澄ませる考え方は、年齢を重ねた彼女ならではの美意識と受け取れます。
さらに、テレビ出演も再び増えており、『徹子の部屋』で娘と初共演したほか、美容特番やトーク番組などに登場し、昔の“美の顔”ではなく、人生を伴った語り口で影響力を発揮しています。
美と健康の実践 ― 腸活、筋活、骨活、暮らしの知恵
美容家としてだけでなく、健康をともに考える実践者でもある十和子さん。インタビューでは、40代で腸の不調、50代で更年期特有の不安などを経験し、「腸活」によって改善されていったと語っています。
具体的には、「白みその腸活ポトフ」や「高野豆腐ときのこの腸活ボロネーゼ」など、素材を重視したレシピを発案しています。
また、身体の「筋活・骨活」も毎日の習慣として意識しており、ウォーキングやラジオ体操なども取り入れています。
食べ方、噛み方、飲み込み方にも配慮を持ち、「年齢を重ねても嚥下力を維持する」意識を持って生きることの大切さを語る場面もあります。
最近は「やめること」にも注力しており、情報過多な時代だからこそ、無駄なものをそぎ落とす美意識を語る発信も行っています。
彼女自身、還暦を控える今、「限られた時間をどう使うか」を意識し、不要な習慣を手放すことで頭をクリアにするなどの工夫を始めています。
第4章:家族の影響、母娘共鳴、未来への祈り
親として、娘として:母娘の共鳴
母としての十和子さんは、娘たちをただ可愛がるだけでなく、一人ひとりを尊重し、成長を支える姿勢を持ってきました。仕事を通じて生きる実感を得てほしいという願いから、娘たちにも自分の力を発揮する場を持ってほしいと願い、無理強いせず背中を見せながら見守ってきたと語ることがあります。
憂樹さんとのテレビ共演は、長年の時間を経た「親子」としての言葉と美と人生観の交錯を象徴するエピソードでした。十和子さんはその場で、「青天の霹靂」と呼べる展開への感謝、そして「成長した娘を世に見せられる幸福」を語りました。憂樹さんも「母は私にとって母であり、人生の指針でもある存在」と語ります。
親と子として互いに影響を与え合い、尊重し合う関係性は、多くのファンや読者に温かさと希望を感じさせるものです。
家族4ショット、その温度感
近年、インスタグラムなどで夫・誉幸さん、長女・憂樹さん、次女・幸季さんとの「顔出し家族4ショット」が公開され、話題を呼んでいます。特にクリスマスや誕生日、家族のイベントで撮られた写真には、自然な笑顔と温かな絆が映し出されており、多くの称賛の声を集めています。
次女の誕生日には長女も祝福メッセージを投稿し、「妹であり、親友であり、尊敬する存在」との言葉を寄せるなど、姉妹関係の親密さも感じられます。
こうした家族写真には、「自然体で、過度な演出がないからこそ伝わる温かさ」があります。そこには、長年の信頼とともに、日常を共有する時間の尊さが滲んでいます。

第5章:その輝きの秘密と未来への覚悟
なぜ彼女は今なお支持されるのか
体験と物語性を伴う発信
彼女の語る美容法や健康法には、単なる理論ではなく自身の経験、失敗、挫折の克服が背景にあります。その物語性が、同世代や若年層を問わず「一歩踏み出してみよう」と思わせる説得力を持たせています。
発信の多様性と適応力
紙媒体、テレビ、SNS、YouTube、ライブ配信、クッキング動画……あらゆるチャネルを使い分けることで、幅広い層と接点を持ち続けています。時代の媒体変化に柔軟に応じながら、その核はぶれていません。
信頼と実績を担保するブランド運営
FTCというブランドを長年育ててきた実績と、彼女自身が商品開発に携わる姿勢は、消費者の信頼を支える基盤です。ブラントと人は切り離せないものであり、彼女が「顔」であり続けられる理由でもあります。
等身大であることの強さ
美しさの裏にある悩み、年齢変化、家族、体調不調などを隠さず語るその誠実さが、多くの読者との共感を生んでいます。「理想像」ではなく「共に歩む存在」として寄り添う姿勢は、長く支持される要因です。
未来への抱負と挑戦
彼女自身、還暦を目前に控えつつ、「軽やかに変わり続けること」「不要なものをそぎ落とすこと」をテーマに掲げています。
現在、彼女は「やめてよかったこと」を意識し始め、無駄な情報や習慣を手放して、頭も体もクリアにしておきたいと語っています。
化粧品ブランドのさらなる普及も、彼女にとっては未完のテーマです。「FTC を、どの家庭にも置いてもらえるブランドにしたい」と語るように、事業拡大への取り組みは今後も緩やかではありません。
また、家族との時間を大切にしながらも、母娘共演、新たなメディア表現、娘たちの夢の支援を通じて、世代を超えた共鳴を紡ぐ道を選びつつあるようにも見えます。
結びに:時間とともに、愛される存在へ
君島十和子は、ただ「年を重ねても美しい女性」ではありません。彼女は、美を形にする実践者であり、家族を大切にする母であり、時代を映しながら変化し続ける伝達者です。芸能界の華やかさから、家庭という静かな拠り所へ、そして美容界・情報発信という広がるステージへ――その道のりは決して平坦ではありませんでしたが、だからこそ多くの人の心をつかんできました。
彼女が語る「美しく生きる」とは、外見の装飾ではなく、内側と向き合い、日々を選び、研ぎ澄ますこと。家族とともに過ごす時間も、ブランドの一つひとつも、発信する言葉もすべてがその理念を支えているのです。
これから先も、彼女は変化を恐れず、自らを更新し続けるでしょう。そして、その先の景色を、私たちはその発信と姿を通じて見届けることができる──その期待を抱かせてくれる女性であり続けています。