日本映画・テレビドラマ史において、樹木希林(きき・きりん)ほど強烈な個性を放ち、同時に深い人間味を漂わせ続けた女優はそう多くない。彼女の演技は、派手さや技巧に走ることなく、飾らぬ人間の「生」をそのままスクリーンや茶の間に映し出す力を持っていた。また、その生き方は女優としての在り方を超え、人間樹木希林の生き様そのものが、多くの人々の心に刻まれている。本稿では、彼女の生い立ちから芸能界入り、主な出演作、プライベートに至るまでを辿りながら、その魅力を改めて振り返ってみたい。
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生まれと生い立ち
樹木希林、本名・内田啓子(旧姓:中谷)。1943年1月15日、東京都千代田区に生まれる。父は銀行員、母は旧家の出身で、裕福とはいえないまでも堅実な家庭で育った。幼少期から読書が好きで、物事を深く観察する子どもであったと伝えられている。
戦後間もない時代に成長した彼女は、日々の暮らしの中で人々の逞しさや矛盾を見つめながら、人間そのものに対する好奇心を培っていった。のちに彼女が演じる数々の役柄において、単なる「善悪」を超えた複雑な人物像を自然に表現できたのは、この幼少期からの観察眼が大きく影響していると考えられる。
芸能界入りまで ― きっかけと下積み時代
高校卒業後、文学座付属演劇研究所に入所したのが芸能界への第一歩だった。もともと芝居の世界を志していたわけではなかったが、「人間を演じることを通じて知りたい」という欲求が彼女を舞台へと向かわせた。
1961年には研究生として舞台に立ち、演技の基礎を磨く。その後、1964年にテレビドラマ『七人の孫』(TBS)に出演し、本格的に女優としての活動を開始。芸名を「悠木千帆」と名乗り、個性派女優として徐々に注目を浴びるようになる。

当時のテレビドラマ界はホームドラマ全盛期で、彼女も「隣のおばさん」や「小姑」といった役柄を数多く演じた。美人女優の枠に収まらず、独特の存在感で視聴者に印象を残していく。その後のキャリアを考えれば、この頃すでに「普通の人の中に潜む異彩」を表現するスタイルが形づくられていたといえるだろう。
主な出演作と女優としての歩み
樹木希林といえば、1970年代のホームドラマ『時間ですよ』シリーズでの活躍をまず挙げねばならない。銭湯の番台に座る個性的な女性を演じ、庶民的でユーモラスなキャラクターはお茶の間の人気者となった。また、『寺内貫太郎一家』(1974年、TBS)では、小林亜星演じる頑固な父親に仕えるお手伝い・きんばあ役を熱演。年齢よりはるかに老け役を演じ切り、その高い演技力を見せつけた。
映画においても、彼女は「母」や「祖母」といった役柄を中心に数多くの作品に出演。『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007年)では、余命わずかな母親を演じ、そのリアルで温かみのある演技が多くの観客を涙させた。さらに是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』(2008年)や『そして父になる』(2013年)、『万引き家族』(2018年)といった作品での存在感は、日本映画史に残る名演として高く評価されている。
特に『万引き家族』では、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞。彼女の演技は世界中の観客に「家族とは何か」という普遍的な問いを投げかけ、日本を代表する名女優としての地位を確立した。
芸名「悠木千帆」の売却と「樹木希林」誕生
1977年、彼女は突如、自身の芸名「悠木千帆」をテレビ番組で売却するという前代未聞の行動に出る。オークション形式で落札され、芸名は他人の手に渡ってしまった。この奇行にも思える行動の背景には、「名前に縛られることなく、自分自身を自由に演じたい」という強い意志があったとされる。
その後、新しい芸名として「樹木希林」を名乗り始める。この名は、漢字の並びからも分かるように、強く根を張りながらも風雪に耐える「樹木」と、凛とした「希林」という響きが、彼女の人生観に見事に重なっていた。以降の活躍は、この芸名とともに歩むこととなる。
結婚、子供、家族、そしてプライベート
私生活においても、彼女は独自の生き方を貫いた。1964年に俳優・岸田森と結婚するが、1975年に離婚。その後、内田裕也と再婚する。ロック歌手で破天荒な人生を歩む裕也と、静謐で観察眼鋭い希林――この正反対とも思える二人の結婚生活は、しばしばメディアを賑わせた。

しかし彼女は、どんなに波乱に富んだ関係であっても「家族」であることを大切にし、距離を保ちながらも内田裕也を支え続けた。その関係性は、一種の「夫婦の新しい形」として多くの人に印象づけられた。娘の内田也哉子も芸能活動を行い、母としての希林の姿は彼女の人生のもう一つの大切な側面であった。
プライベートでは、彼女は物質的な欲望にとらわれず、シンプルで質素な生活を好んだ。「老い」や「死」についても常に自然体で語り、病気に直面してからもそれを隠すことなく受け止める姿勢を見せ続けた。ガンの全身転移を告知された後も、「人間は死ぬまでの暇つぶし」と語り、最後まで生を楽しむ覚悟を貫いた姿は、多くの人々に深い感銘を与えた。


彼女が残したもの ― 演技と生き方
樹木希林は2018年9月15日、75歳で逝去した。その訃報は国内外に大きな衝撃を与えたが、彼女の残した言葉や演技は今も生き続けている。
彼女が生涯を通して見せたのは、決して虚飾にまみれることのない「人間そのもの」であった。役を演じる際にも、決して作り込まず、むしろ自らの経験や観察を通じて「その人がそこにいる」ことを表現した。だからこそ、観客は彼女の演技を見ながら、スクリーンに映る人物ではなく「自分や身近な人間の姿」を重ね合わせることができたのである。
そして、芸名売却や奇抜な発言に象徴されるように、彼女は常に「既存の枠組み」にとらわれなかった。その姿勢は、芸能界という枠を超えて、現代を生きる人々へのメッセージでもあった。「人生をどう生きるか」「家族とは何か」「老いや死をどう受け止めるか」――これらの普遍的な問いに対し、彼女は自らの人生をもって答えを示し続けたのである。
おわりに
樹木希林という女優は、単に優れた演技を残した存在ではない。その生き方そのものが一つの芸術であり、多くの人にとって人生を見つめ直す鏡でもあった。
彼女の作品を見返すとき、私たちは「こんな人いるよね」と頷き、同時に「自分もこう生きられるだろうか」と問いかけられる。演技と人生が不可分に結びついた稀有な存在――それが樹木希林である。
彼女が遺した足跡は、今も日本の映像文化の中で光を放ち続け、そして人々の心の中で生き続けている。