日本のテレビ時代劇の金字塔『水戸黄門』。その初代、そして多くの人々の記憶に刻まれる「黄門様」を演じた東野英治郎(ひがしの えいじろう)。その威厳と温かさを併せ持つ演技は、国民的俳優としての地位を不動のものとしました。しかし、彼の俳優人生は、『水戸黄門』だけにとどまりません。舞台、新劇、映画と、様々なジャンルで類まれな才能を発揮し、日本の演劇史に大きな足跡を残しました。また、彼自身が役者一族の祖であり、その血は現代にも受け継がれています。本稿では、東野英治郎の壮絶な俳優人生と、知られざる素顔に迫ります。
新劇運動の荒波を越えて
東野英治郎は、1907年(明治40年)9月14日、熊本県に生まれました。本名は東野英治郎(ひがしの えいじろう)。幼少期から芝居に興味を持ち、旧制五高(熊本大学の前身)在学中に演劇活動に熱中します。当時の日本は、新劇運動が盛んになりつつあり、彼はこの新時代を切り開く演劇に魅了されました。
大学卒業後、1930年(昭和5年)に東京に移り、築地小劇場に入団。しかし、翌年には退団し、劇団新築地を創設します。この頃から、新劇運動は政府の弾圧を受け始め、東野も特高警察に目をつけられるようになります。1940年(昭和15年)には、劇団新築地は解散に追い込まれ、東野は逮捕・拘留されるという辛酸をなめました。
戦後、東野は再び演劇の道を歩み始めます。1945年(昭和20年)に俳優座を結成し、座員として活躍。彼の演劇に対する情熱は衰えることなく、数々の舞台で観客を魅了しました。この時期に培われた確かな演技力と深い人間理解が、後の「黄門様」の演技に生かされることになります。
名監督たちが愛した名優
東野英治郎は、舞台俳優としてだけでなく、映画俳優としても卓越した才能を発揮しました。特に、その重厚な存在感と、どんな役柄にも溶け込む柔軟な演技は、多くの名監督たちから愛されました。

彼の代表的な映画出演作としては、黒澤明監督の『生きる』(1952年)が挙げられます。この作品で、東野は、主人公・渡辺勘治(志村喬)を翻弄する区役所の同僚を演じ、その冷酷な役柄を見事に演じきりました。また、今村昌平監督の『神々の深き欲望』(1968年)では、島の信仰を守る村長を演じ、その強烈な個性と存在感で観客に深い印象を与えました。
さらに、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967年)では、終戦に際して玉音放送の録音盤を守ろうとする侍従長を演じ、その凛とした佇まいと、苦悩をにじませる演技は、日本の歴史の一頁を鮮やかに描き出しました。

他にも、小津安二郎監督、市川崑監督、成瀬巳喜男監督など、日本映画史を彩る巨匠たちの作品に数多く出演し、作品に深みと説得力を与えました。新劇で培われた演技力は、スクリーンでも遺憾なく発揮され、彼を日本を代表する名優の一人へと押し上げました。
時代劇の巨星へ
東野英治郎の名を、全国のお茶の間に知らしめたのが、1969年(昭和44年)に放送が始まったテレビ時代劇『水戸黄門』です。この作品で、彼は初代水戸黄門・徳川光圀を演じ、その温かくも威厳のある姿は、国民的な人気を博しました。

『水戸黄門』のキャスティングに際して、東野が選ばれたのは、彼の持つ風格と、人間的な深み、そして何よりもその演技力が高く評価されたからです。当時、時代劇の主役には、歌舞伎役者や、二枚目俳優が起用されるのが一般的でしたが、東野のような新劇出身の俳優が主役を務めることは異例でした。しかし、この人選こそが『水戸黄門』の成功を決定づけたと言えるでしょう。
東野が演じる黄門様は、単なる偉い人ではありませんでした。旅の途中で出会う人々との交流を通して、時には人間味あふれる一面を見せ、時には悪を厳しく裁く。その奥深い人物像は、東野の演技によって見事に表現されました。特に、印籠を出す際の「この紋所が目に入らぬか!」という決め台詞は、東野の朗々とした声と、威厳に満ちた佇まいが相まって、視聴者の心に深く刻まれました。
撮影現場での東野は、若手俳優たちにとって尊敬の対象であり、畏敬の念を抱かれる存在でした。しかし、役者としては常に謙虚で、演技について若手から意見を求められると、真摯に耳を傾けたといいます。また、時にはユーモアを交えながら、現場の雰囲気を和ませることもあり、多くの共演者から慕われました。
『水戸黄門』は、東野のライフワークとなり、彼は1983年(昭和58年)まで、14年間にわたって黄門様を演じ続けました。その間、常に最高の演技を追求し、視聴者に感動と安らぎを与え続けました。
受け継がれる演劇の血
東野英治郎は、俳優としてだけでなく、家庭人としても尊敬を集めていました。彼の妻、東野芳子(ひがしの よしこ)は、元女優であり、夫の俳優人生を陰で支え続けました。

そして、東野の子供たちも、その血筋を受け継ぎ、演劇の世界で活躍しています。長男は、俳優の東野英心(ひがしの えいしん)。『水戸黄門』では、父・英治郎が演じる黄門様の息子、徳川綱條を演じ、親子共演を果たしました。英心は、テレビドラマや映画で個性派俳優として活躍し、父親とは異なる独自の路線を確立しました。
また、英心の息子、すなわち東野英治郎の孫にあたる東野克(ひがしの かつ)もシンガーソングライター、映画音楽作曲家として活動しています。祖父と父、そして自身と、三代にわたって芸能の道を歩む、まさに「芸能一族」と言えるでしょう。
さらに、東野英治郎の次男、東野英和(ひがしの ひでかず)も、映画プロデューサーとして、日本映画界に貢献しました。三男の東野芳和(ひがしの よしかず)は、演出家・脚本家として活躍し、演劇の裏側から、父の志を継いでいます。
東野英治郎の家族は、それぞれの立場で演劇・映像の世界に深く関わり、日本の文化を豊かにしてきました。彼の情熱と才能は、世代を超えて脈々と受け継がれているのです。
おわりに
東野英治郎は、新劇の荒波を越え、舞台、映画、テレビと、あらゆるジャンルでその才能を開花させました。特に『水戸黄門』の「黄門様」は、彼の威厳と温かさが融合した、唯一無二のキャラクターとして、今もなお多くの人々の心に生き続けています。
東野英治郎さんの卓越した演技力と、日本の演劇界における長年の貢献で、以下の勲章を受賞しています。
紫綬褒章(1975年): 学術や芸術、スポーツ分野で功績を挙げた人物に授与される褒章。長年にわたる新劇や映画、テレビでの活躍が評価されての受章でした。
勲四等旭日小綬章(1982年): 公共に対し功労のある人物に授与される勲章。この受章は、彼が日本の文化、特に演劇界に多大な貢献をしたことが国に認められた証です。
彼が築き上げた「役者一族」の礎は、日本の演劇界に多大な影響を与えました。東野英治郎の人生は、まさに日本の演劇史そのものであり、その功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。