日本とウクライナを結ぶバレエの巨匠 寺田宜弘

 寺田宜弘氏は、ウクライナ国立バレエの芸術監督として世界的に活躍する、日本を代表するバレエダンサーであり、指導者です。11歳で単身ウクライナへ渡り、異国の地でバレエに人生を捧げ、ウクライナと日本の文化交流の架け橋として多大な功績を残してきました。

京都に生まれたバレエの才能

 寺田宜弘氏は、京都府に生まれました。父は、京都で寺田バレエ・アートスクールを主宰する寺田博保氏。母は、同スクールの現校長である高尾美智子氏という、バレエ一家に育ちました。

 幼い頃からバレエに親しみ、茶道や生け花を習うなど、日本の伝統文化も身につけました。そして、11歳の時、日本のバレエダンサーとしては異例の、単身旧ソ連のキエフ国立バレエ学校への留学を決意します。

ウクライナで花開いた才能と挫折

 言葉も文化も異なる異国の地で、寺田氏は厳しいレッスンに耐え、才能を開花させます。同校を卒業後、ウクライナ国立バレエに入団。ソリストとして活躍し、その表現力と高い技術で、数々の主要な役を演じ、観客を魅了しました。

 しかし、ソリストとして順調にキャリアを積む一方で、怪我に悩まされるようになります。そして、彼はダンサーとしてのキャリアを諦めるという、苦渋の決断を迫られました。しかし、彼はバレエへの情熱を失うことはありませんでした。ダンサーとしての道を諦め、指導者としての道を歩み始めることになります。

芸術監督への道、そして改革

 指導者として、寺田氏はウクライナ国立バレエ学校の芸術監督に就任。若手ダンサーの育成に力を注ぎ、多くの才能を世界に送り出しました。そして、2000年には、ウクライナ国立バレエの芸術監督に就任。日本人として初めて、世界三大バレエ団の一つを率いることになります。

 芸術監督として、彼は数々の改革を断行しました。伝統的な古典バレエに加え、現代作品も積極的に取り入れ、バレエ団のレパートリーを多様化。また、積極的に海外公演を実施し、ウクライナ国立バレエの名を世界に広めました。彼の指導のもと、ウクライナ国立バレエは世界的に認められるバレエ団の一つとなり、その功績はウクライナ政府にも認められ、2016年にはウクライナ最高位の芸術家に対する称号である「人民芸術家」を授与されました。

戦禍の中、バレエと希望を繋ぐ

 2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、寺田氏とウクライナ国立バレエに大きな試練をもたらしました。多くのダンサーが避難を余儀なくされ、バレエ団の存続も危ぶまれる状況に陥りました。

 しかし、寺田氏は諦めませんでした。彼は、国外に避難したダンサーたちの受け入れ先を探すなど支援活動を精力的に行い、バレエ団を存続させ、国内外での公演を実現させました。

 彼は「芸術は戦争に負けない」という信念のもと、ウクライナの素晴らしい芸術や文化を世界に発信し続けました。日本の義援金によって新作「ジゼル」を制作するなど、芸術の力で人々に希望を与え続けました。この功績が評価され、2022年には、ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選出されました。

日本との深い絆

 寺田氏は、長年ウクライナを拠点に活動していますが、日本との深い絆は途切れることがありません。

 彼の両親が主宰する寺田バレエ・アートスクールは、ウクライナのキーウ国立バレエ学校と姉妹校提携を結んでおり、彼のバレエキャリアの原点となっています。

 また、寺田氏が芸術監督を務めるウクライナ国立バレエは、1972年の初来日以降、継続的に日本で公演を行っており、日本のバレエファンに親しまれています。特に、近年は寺田氏の指揮のもと、日本での公演を積極的に実施し、日本とウクライナの文化交流の架け橋として重要な役割を担っています。

 2013年には京都国際観光大使に就任し、故郷である京都の文化を世界に発信する活動も行っています。

プライベートについて

 寺田氏は、ロシアのピアニスト、マリーナ・セルゲーエワ氏と結婚しています。彼女は、キーウ国立バレエ学校の元ピアニストであり、夫婦で芸術活動を支え合っています。

 寺田宜弘氏は、日本人でありながらウクライナのバレエ界の頂点に立ち、その功績は世界的に評価されています。そして、その活動は日本との深い絆に支えられ、両国の文化交流にも大きく貢献しています。彼は、まさに「日本とウクライナを結ぶバレエの巨匠」と言えるでしょう。

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