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はじめに:テレビが「癒やし」だった時代の主役
1980年代、お茶の間のテレビから「あ、あ、あ……村の時間です」という、どこか危なっかしい声が聞こえてくると、誰もが思わず笑顔になりました。
『欽ちゃんのどこまでやるの!』(欽どこ)で居酒屋の主人やアナウンサー役を務めた斎藤清六さん。師匠・萩本欽一さんが作り上げた「欽ちゃんファミリー」の中でも、ひときわ異彩を放った彼のキャラクターは、計算された笑いとは無縁の、純粋で温かい笑いを日本中に届けました。
今回は、斎藤清六さんの伝説的なエピソードから、近年あまり語られることのない現在の活動までを詳しくご紹介します。
1. 「欽ちゃんの秘蔵っ子」ができるまで
斎藤清六さんは、1940年、東京都北区赤羽に生まれました。日本大学法学部を卒業後、一度は一般企業に就職するものの、夢を捨てきれず萩本欽一さんに弟子入りを志願します。
欽ちゃんは彼を一目見て、「君は面白い。でも今は早すぎる。浅草で修業してきなさい」と助言。約10年の下積みを経て、満を持して欽ちゃんファミリーの一員となりました。
彼が持っていた「素朴さ」と「一生懸命ゆえのズレ」は、まさに欽ちゃんが求めていた「素人のようなプロ」の理想形だったのです。
2. 伝説の「清六節」と破壊的な歌唱力
斎藤清六さんの名を一躍全国区にしたのは、『欽どこ』内の名物コーナー「村の時間」でした。
- 棒読みの美学: カンペをそのまま読み上げるようなたどたどしい口調、そして突然訪れる絶妙な「間」。この「清六節」は、当時の子供からお年寄りまで広く真似されました。
- 「バイ・バイ・セプテンバー」の衝撃: 歌手としても活動した清六さんですが、その歌唱力はまさに「伝説」でした。音程を自由自在(?)に外しながらも、必死に歌い上げる姿は、後に『クイズ・ドレミファドン!』の「セイロクマン」として開花し、お茶の間の爆笑を独占しました。
3. ドラマ・CMで見せた「もう一つの顔」
バラエティでの印象が強い清六さんですが、実は俳優としても確かな足跡を残しています。
『必殺橋掛人』へのレギュラー出演や、数々の刑事ドラマ、サスペンスドラマでのゲスト出演など、その素朴な風貌は作品に独特のリアリティと安らぎを与えました。また、ホテイフーズの缶詰CMなど、彼が登場するだけで商品に「安心感」が宿るほど、その好感度は圧倒的でした。
4. 斎藤清六さんの現在は?
1990年代以降、テレビへの露出が徐々に減少したため「今どうしているの?」と気にするファンも多いですが、清六さんは今も現役で活動されています。
- 個人事務所での活動: 大手事務所から独立し、現在は個人事務所「清六企画」を拠点としています。
- 舞台への情熱: 近年はテレビよりも舞台に軸足を置いています。2024年から2025年にかけても、舞台作品への客演や朗読劇など、表現者としての活動を継続。80歳を超えた今も、その独特の温かみは健在です。
- 独身を貫く生き方: 私生活では独身を貫いており、過去には「欽ちゃんという師匠がいれば、それだけで人生は満たされている」といった趣旨の発言も。師弟愛を貫くその生き方は、多くのファンから尊敬を集めています。
5. まとめ:時代が変わっても色褪せない「清六スマイル」
コンプライアンスやテンポの速さが求められる現代のバラエティ界において、斎藤清六さんのような「ゆったりとした、誰も傷つけない笑い」は、いま改めて再評価されています。
彼が残した「一生懸命やれば、それが笑いになる」という姿勢は、後進のコメディアンたちにも大きな影響を与え続けています。
テレビで見かける機会は少なくなりましたが、舞台の上で、あるいは地域のイベントで、今もなお「あ、あ、あ……」と照れ笑いを浮かべている清六さん。その存在こそが、昭和から令和へと続く、日本のお笑い界の宝物と言えるかもしれません。
(編集後記) 斎藤清六さんの歌声を思い出すだけで、当時の賑やかなリビングの風景が浮かんできます。皆さんの心に残っている「清六さんの名場面」は何ですか?ぜひコメントで教えてください。