【銀幕の反逆児】デブラ・ウィンガー(Debra Winger) ──『愛と青春の旅立ち』のヒロインが貫いた、媚びない美学とロックな生き様

はじめに:お姫様抱っこの「重み」を知る女優

映画史に残るラストシーンがある。『愛と青春の旅立ち』で、リチャード・ギア演じるザックが、製紙工場の喧騒の中に現れ、デブラ・ウィンガー演じるポーラをお姫様抱っこして連れ去る場面だ。 あれは、文字通り「おとぎ話」のような結末だ。しかし、あのシーンが単なる絵空事にならず、私たちの胸にズシリと響くリアリティを持っていたのはなぜか。それは、ヒロインのポーラ・ポクリフキを演じたデブラ・ウィンガーという女優が、地に足のついた「生活の匂い」と、決して折れない「人間の尊厳」を、その小さな体に宿していたからに他ならない。

還暦を迎えた今、改めて彼女のフィルモグラフィと人生を振り返ると、彼女こそが、私が愛するアメリカの「自由」と「反骨精神」を体現していた存在だったことに気づかされる。 彼女は、ハリウッドという煌びやかな階級社会の中で、決して「作り物」になることを拒み続けた。その生き方は、まるで70年代のウエストコースト・ロックのように荒削りで、タフで、とてつもなく魅力的だ。

今日は、『愛と青春の旅立ち』のもう一人の主役、デブラ・ウィンガーについて語りたい。

1. ハスキーボイスの「労働者階級の女神」

1980年代初頭、スクリーンに登場したデブラ・ウィンガーは、当時のハリウッド女優の定型(ステレオタイプ)を打ち破る存在だった。 透き通るような金髪の美女でもなければ、守ってあげたくなるような儚げな少女でもない。低く響くハスキーボイス、意思の強さを物語る茶色の瞳、そして何より、彼女の立ち居振る舞いには、どこか「野生」が感じられた。

『愛と青春の旅立ち』のポーラ役は、彼女以外には考えられない。 ポーラは、製紙工場の汚れた空気の中で働きながら、週末だけお洒落をして士官候補生との出会いを求める地元の娘だ。一歩間違えれば、「玉の輿を狙う計算高い女」として描かれかねない役どころである。 しかし、デブラ・ウィンガーは違った。彼女はポーラという女性に、労働者階級特有の「誇り」を植え付けたのだ。

ザックに対して、彼女は決して媚びない。愛してはいるが、自分を安売りすることはしない。彼女の演技には、「私はここ(工場)から抜け出したいが、自分の魂までは売らない」という強烈な自我が見え隠れしていた。 だからこそ、ラストシーンで彼女が工場長の帽子を飛ばして抱き上げられたとき、私たちは彼女の「勝利」に心からの拍手を送ったのだ。あれは王子様に救われたのではない。彼女自身が、その愛と誠実さで「未来」を勝ち取った瞬間だった。

2. 「レンガの壁」との戦い ── プロフェッショナルの流儀

映画ファンには有名な話だが、『愛と青春の旅立ち』の撮影中、デブラ・ウィンガーとリチャード・ギアの仲は最悪だったと言われている。 メソッド演技法を駆使し、どこかクールで他人を寄せ付けないギアに対し、感情を剥き出しにして役に没入するタイプのウィンガー。彼女はギアのことを「レンガの壁(Brick Wall)」と呼び、心の通わない演技に苛立ちを隠さなかったという。

しかし、完成したフィルムを見てほしい。二人のラブシーンには、火傷しそうなほどの情熱と、ヒリヒリするような緊張感が漂っている。 仲が悪いのに、なぜあんな演技ができるのか。 それは、二人が「プロフェッショナル」だったからだ。そして何より、デブラ・ウィンガーという女優が、相手が誰であろうと、カメラの前では「嘘をつかない」ことだけを信条としていたからだろう。

彼女のこの姿勢は、職人気質のミュージシャンたちを彷彿とさせる。 例えば、私の好きなイーグルスも、バンド内の人間関係は決して良好とは言えなかった時期がある。しかし、ステージに立てば完璧なハーモニーを奏でた。個人の感情を超えて、最高の作品(サウンド)を作り上げる。その「緊張感」こそが、芸術をより高い次元へと押し上げるのだ。 ウィンガーとギアの不仲説を聞くたびに、私はむしろ彼女の、妥協を許さない芸術家としての「業」の深さを感じてしまう。

3. 80年代の快進撃と「難物」のレッテル

『愛と青春の旅立ち』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた彼女は、続く『愛と追憶の日々』(1983年)でも同賞にノミネートされ、一躍トップスターの座に躍り出た。 この映画では、名女優シャーリー・マクレーンと母娘役を演じ、ここでも伝説的な演技合戦(と舞台裏での衝突)を繰り広げた。

当時の彼女につけられたあだ名は「ハリウッドで最も扱いにくい女優」。 脚本が気に入らなければ出演を拒否し、監督や共演者が真剣でなければ食って掛かる。商業的な成功よりも、作品の「質」と「真実」を追求する彼女のスタイルは、効率と利益を優先するスタジオの上層部にとっては、さぞかし煙たい存在だっただろう。

しかし、私たち観客は知っていた。彼女が出る映画にハズレがないことを。 彼女がスクリーンに映る時、そこには計算された「演技」ではなく、生身の人間が泣き、笑い、怒る姿があった。 彼女の生き方は、体制に中指を立てるロック・ミュージシャンのようだった。「売れるため」に自分を曲げるくらいなら、嫌われた方がマシだ。そんな彼女のパンクな精神は、アメリカという国が本来持っていた「個人の尊厳」そのものだったのかもしれない。

4. 頂点での「ドロップアウト」 ── 自由への逃走

そして、デブラ・ウィンガーは伝説になった。 人気絶頂の1995年、彼女は突如としてハリウッドから姿を消したのだ。40歳という、女優として円熟期を迎える年齢での引退(休業)だった。

理由はシンプルだった。「もう、演じたくない役を演じるのは嫌だ」。 若さだけを消費し、年齢を重ねた女優に整形手術や若作りを強要するハリウッドのシステムに、彼女は「NO」を突きつけたのだ。 彼女は映画界を去り、家族との時間を大切にし、ハーバード大学で教鞭をとったり、執筆活動をしたりと、一人の人間としての生活を選んだ。

この決断を聞いた時、私はドゥービー・ブラザーズの曲を思い出した。『Listen to the Music』。世間の雑音に耳を貸すな、音楽(自分の心の声)を聴け。 彼女はまさに、自分の心の声に従ったのだ。名声や金よりも、自分自身の魂の自由を選んだ。これは、口で言うのは簡単だが、実際にできることではない。 アメリカンドリームの頂点にいながら、その椅子を蹴って荒野へと歩き出した彼女の姿は、西部劇の孤高のヒーローのように潔く、美しい。

後に、ロザンナ・アークエットが監督したドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』(2002年)が公開された。多くの女優たちが「仕事と家庭」「年齢と容姿」の狭間で葛藤する中、インタビューに答えるデブラ・ウィンガーの表情は、驚くほど穏やかで、憑き物が落ちたように晴れやかだったのが印象的だ。

5. 銀幕への帰還、そして「シワ」の美学

6年のブランクを経て、彼女は再び映画界に戻ってきた。 しかし、彼女は変わっていなかった。いや、より一層「デブラ・ウィンガー」になっていた。

復帰後の彼女を見て驚いたことがある。彼女は、加齢によるシワやたるみを、全く隠そうとしていなかったのだ。 ボトックス注射で表情を凍らせる女優が多い中、彼女の顔には、彼女が生きてきた年輪が刻まれていた。笑えば目尻にシワができる。首筋には年齢が出る。だが、それがどうしたというのか。 『レイチェルの結婚』(2008年)や、ドラマ『The Ranch』で見せた彼女の姿は、作り物の美しさなど足元にも及ばない、圧倒的な「実存感」に満ちていた。

「私の顔には、私の人生が書いてあるの。それを消すなんてとんでもない」 そう言わんばかりの彼女の佇まいは、使い込まれたヴィンテージ・ギターのように味わい深い。 イーグルスのドン・ヘンリーもしわがれ声になった。しかし、その声には若い頃には出せなかった深みがある。デブラ・ウィンガーもまた、老いることの美しさ、成熟することのかっこよさを、身をもって私たちに示してくれている。

結び:永遠の「Officer and Gentleman」たちへ

『愛と青春の旅立ち』から40年以上が経った。 ザック(リチャード・ギア)が「父性の獲得」の物語だったとすれば、ポーラ(デブラ・ウィンガー)は「自尊心の獲得」の物語だったと言えるだろう。

彼女は、映画の中でも、そして実人生においても、誰かの付属品になることを拒み、自分の足で大地を踏みしめて生きてきた。 アメリカという国が、階級や生まれではなく「個人の意志」を尊重する国であるならば、デブラ・ウィンガーこそが、最もアメリカ的な女優であると私は断言したい。

還暦を迎えた私たちもまた、社会的な役割や肩書きという「衣装」を脱ぐ時期に差し掛かっている。 これから先、どう生きるか。 若作りに必死になるのではなく、権威にしがみつくのでもなく、デブラ・ウィンガーのように、自分のシワを誇り、自分の心の声に従って生きていきたい。

彼女が出演した映画を見返す時、あのハスキーボイスは今も私に語りかけてくる。 「あなたの人生の主役は、あなた自身なのよ」と。

工場の出口で、ザックに抱き上げられた時のポーラの輝くような笑顔。 あの笑顔の裏にあったのは、一人の女優の不屈の魂だった。 そう思うと、この映画がまた一層、愛おしく思えてならないのである。

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