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デビュー45周年、再び世界がEPOを聴き始めている
1980年代、軽やかで都会的なサウンドとともに日本のポップスを牽引した女性シンガー、EPO(エポ)。「う・ふ・ふ・ふ」「DOWN TOWN」など数々の名曲で知られる彼女が、いま再び脚光を浴びている。
近年のシティポップ・リバイバルの流れの中で、EPOの音楽が国内外で再評価され、2025年にはデビュー45周年を迎えた。
だが、その背景には、単なる“懐古”ではなく、沖縄での静かな暮らしから生まれた“新しい音の息吹”がある。
音楽に導かれた少女──EPO誕生の物語
EPO(本名:宮川榮子、旧姓・佐藤)は1960年、東京都世田谷区に生まれた。幼少期から音楽への感性が豊かで、ピアノを弾きながら自作曲を作る少女だったという。10代後半には、洋楽ポップスやソウル、ジャズに強く影響を受け、都会的で洗練された音楽を志すようになる。
1970年代後半、彼女のデモテープがCBSソニーのディレクターの耳に留まり、1980年、山下達郎が在籍したシュガー・ベイブの名曲「DOWN TOWN」をカバーしてデビュー。この曲は当時のテレビ番組『オレたちひょうきん族』のエンディングにも使用され、EPOの名前は一躍ポップシーンに躍り出た。
その柔らかな声と透明感のある歌唱は、都会的でありながらどこか温もりを感じさせる。デビュー当時から、彼女は単なる“アイドル的存在”ではなく、“作詞・作曲を手がけるシンガーソングライター”として評価されていた。
「う・ふ・ふ・ふ」──EPOの代名詞となったポップ・マジック
EPOのキャリアを語る上で欠かせないのが、1983年にリリースされた「う・ふ・ふ・ふ」だ。カネボウ化粧品のCMソングとして放送されると、瞬く間に大ヒット。独特のリズムと軽快なコーラス、そして彼女のチャーミングな歌声が、当時の女性たちの心をとらえた。
この曲には、EPOの音楽観の核心が表れている。ポップでありながら品があり、どこかジャズやソウルの匂いを感じさせるアレンジ。作曲・編曲には清水信之、佐藤博、坂本龍一らが関わり、80年代のシティサウンドを象徴する1曲となった。
同時期に発表された「土曜の夜はパラダイス」「音楽のような風」なども高い完成度を誇り、彼女は山下達郎や大貫妙子、竹内まりやと並んで“都会派シンガー”の代表として地位を確立した。
沖縄への移住──自然と共に生きる、新しい音楽のかたち
1990年代以降、EPOはメジャーシーンから少し距離を置き、自身のペースで創作を続けるようになる。そして2011年、東日本大震災を契機に大きな決断を下す。
家族の健康と生活の安心を求めて、沖縄本島へ移住したのだ。
以降、彼女の暮らしは大きく変わった。東京の喧噪を離れ、畑を耕し、野菜や果物を育て、時には海で泳ぐ。そうした自然のリズムの中で、EPOは「音楽と生命がつながる感覚」を取り戻していったという。
「音楽は風や光と同じ。無理に作ろうとせず、心が静まれば自然とメロディが降りてくるの。」

この言葉の通り、彼女の楽曲はより深い“祈り”や“癒し”の要素を帯びていく。沖縄の豊かな自然や土地のリズムが、EPOの新しい音楽的エネルギーとなった。
地元アーティストとの共演や、少人数でのアコースティックライブ、子どもたちと歌を作るワークショップなど、沖縄での活動は“地域とつながる音楽”という新しいかたちを生み出している。
再評価の波──世界がEPOを聴き始めた
ここ数年、EPOの名前は再び国内外のメディアに登場している。きっかけは、YouTubeやSpotifyを中心とした「シティポップ再評価」のムーブメントだ。
竹内まりや「Plastic Love」、山下達郎「Love Talkin’」と並び、EPOの「DOWN TOWN」や「う・ふ・ふ・ふ」が海外のプレイリストで注目され、英語圏の音楽ファンが“Japanese City Pop”の象徴のひとつとして彼女の名を挙げるようになった。
EPO本人もその反響を実感している。
「若い世代が、私の音楽を“今の音”として聴いてくれている。これは本当に嬉しいことです。」
音楽配信の普及により、かつてアナログ盤でしか聴けなかった彼女のアルバムが世界中で再生されるようになった。海外リスナーが日本語の歌詞を翻訳し、SNSで感想を共有する姿も見られる。
“懐かしい”というより、“今こそ新鮮に響く”──EPOの音楽が持つ普遍性が、世代と国境を越えて広がり始めている。
『EPOFUL』──45周年に咲いた、新しい“う・ふ・ふ・ふ”
2025年10月、EPOはデビュー45周年を記念したアルバム『EPOFUL』をリリースした。タイトルは、“EPOらしさに満ちた”という意味の造語。
収録曲には「う・ふ・ふ・ふ」や「Gift~あなたはマドンナ」などのセルフカバーに加え、新曲も収録。80年代のサウンドを現代的にアップデートしながら、EPOの成熟した声が作品全体に柔らかい光を差している。
フォトグラファーのレスリー・キーが撮り下ろしたジャケットも話題となり、往年のファンだけでなく若い世代からも注目を集めた。また、記念ライブ「EPO 45th Anniversary PARTY!!」も東京・大阪で開催され、チケットは即完売。SNSには「EPOの声は今も透き通っている」「本物のシティポップはここにあった」という感想が並んだ。
EPOはインタビューでこう語る。
「45年の間に時代は変わったけれど、音楽に向かう気持ちは変わらない。私にとって音楽は“日常”そのもの。風と一緒に歌うだけなんです。」
未来へ──“懐かしさ”ではなく、“今を生きるポップス”
EPOの音楽が今なお聴き継がれる理由は、単なるレトロ感ではない。彼女の歌には、どんな時代でも人の心を明るく照らす“まっすぐなポジティブさ”がある。「う・ふ・ふ・ふ」は、ただのヒット曲ではなく、“人生を軽やかに生きるためのリズム”として、多くの人の記憶に残っている。
沖縄の海と風の中で暮らしながらも、EPOは常に“都市の感性”を失わない。自然と都会、過去と未来、その両方をつなぐ橋のような存在として、彼女は今も新しい音を紡ぎ続けている。
シティポップが世界で再び花開くいま、EPOは言葉ではなく音で語る。その歌声は、1980年代の都会を抜け、南の海を渡り、そして静かに未来へと届いていく。
“う・ふ・ふ・ふ”──それはEPOが贈る、時代を超えた微笑みの呪文。音楽が人を幸せにする力を、彼女は今も信じている
