シティポップ再評価──1980年代東京の“都会の音”が、なぜ今、世界を揺らすのか

 1970〜80年代、日本の経済成長と都市文化の成熟期に生まれた“都会派ポップス”──シティポップ。ドライブ、リゾート、夜のネオン、自由な恋。そんな情景を洗練されたサウンドで描いたこの音楽は、1980年代に日本の“豊かさの象徴”として一世を風靡した。しかし、バブル崩壊後の1990年代には忘れられ、時代の潮流から姿を消した。それが今、海外の若者たちの耳によって再び息を吹き返している。YouTube、TikTok、Spotifyのプレイリストを通じて世界中を駆け巡る「Japanese City Pop」は、なぜ再び光を浴びたのか。音楽・文化・インターネットの交差点から、再評価の全貌を探る。

シティポップとは何か──起源と文脈

 「シティポップ」という言葉は、当時のレコード業界やリスナーの間ですぐには定着していた訳ではない。音楽史・カルチャー史的に整理すると、1970年代後半から1980年代にかけての日本の都市生活およびリゾート志向のライフスタイル・ムードを背景に、AOR(Adult Oriented Rock)、ソウル、ファンク、フュージョン、ヨットロック/ボビー・ヒース風の洗練されたサウンドが入り交じったポップスが生まれた。
 例えば、山下達郎、大貫妙子、竹内まりやらが手がけた楽曲には、サンセット・ドライブや海辺の休日を連想させる音像が多く、一方で都会の高層ビル・夜景・ネオンも描かれた。また、パッケージ・アートワークにおいても、ぱっと見て「海」「カリフォルニア」「ドライブ」というヴィジュアルが多用された。
 この時代、日本の経済・消費文化は拡大し、若い世代はより洗練された娯楽・音楽を求めるようになった。そうした中、「フォーク/歌謡曲」的な流れから、都会的でグローバル感も感じさせるポップスが台頭してきた。
 こうして、日本語歌詞ながらも洗練されたアレンジ・音作り・大人の余裕を感じさせるその音楽群が、“シティポップ”として後から整理されていった。

全盛期と日本国内での位置づけ

 シティポップの黄金期は、概ね1980年代前半〜中盤(およそ1978〜1986年ごろ)とされる。時代のひずみや社会的背景として、バブル経済への期待、輸入車の増加、海外旅行の一般化、高級家電・自動車の普及などが挙げられる。こうした“暮らしの豊かさ”を象徴する音楽として、シティポップは当時の“リゾート&都会ライフ”のサウンドトラックだった。
 例えば、アルバムやシングルのジャケットに青い海、プール、スポーツカー、サングラス姿の男女などが描かれたことも印象的で、音楽だけでなくヴィジュアル・ライフスタイルとも密接だった。
 音楽的には、ギター・ベース・ホーン・シンセサイザーが入り交じったサウンド、軽やかなグルーヴ、メロウなコード進行。歌詞には「夜」「風」「海」「ドライブ」などのキーワードが多く登場する。こうした要素が、“大人の余裕”・“休日の開放感”といったムードを醸成していた。国内では人気を博し、多くのアーティストがこの流れを取り入れた。
 ただし、当時すべてのポップスが“シティポップ”というラベルで語られていたわけではない。後年になって、この流れを「シティポップ」というひと括りで整理する動きが音楽批評・再発掘の過程で生まれた。

衰退と“忘れられた”時代へ

 1980年代末〜1990年代にかけて、日本はバブル崩壊・経済変動の波にさらされ、流行音楽の潮流も大きく変化する。若者文化、アイドル、クラブ・ダンス、ヒップホップ、ゴス/ヴィジュアル系など、新しいジャンルが台頭し、シティポップ的な“都会のゆるさ”を演出する余裕のある音楽は次第にメインストリームから姿を消していった。
 多くの楽曲やアーティストが「懐かしの昭和歌謡」という括りで語られ、当時のリスナーからも「ちょっと古い」「時代感がある」という評価を受けるようになった。そのため、国内においてはシティポップは本格的なリバイバルを迎えるまで長い間“休眠状態”にあった。
 また、当時「シティポップ」という言葉自体が一般化していなかったため、アーティスト自身や当時のリスナーにとっては“ただのポップス”であり、「自分たちはシティポップをやっていた」という意識を持っていない例も多かった。

海外から始まった再評価の潮流―YouTubeがつないだ“奇跡の再発見”

 2010年代、海外のYouTubeユーザーたちが偶然アップロードした日本の80年代楽曲が、アルゴリズムによって次々と“おすすめ”に浮上し始めた。
 最初に火がついたのは、竹内まりや「Plastic Love」(1984年)。匿名アカウントが投稿した動画には、LPジャケットと楽曲だけが静かに流れ続け、コメント欄には「まるで東京の夜をドライブしているようだ」「日本語なのに懐かしく感じる」といった海外リスナーの声があふれた。
 次に注目を浴びたのが、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)。2020年、インドネシアの若手シンガー・Rainychがこの曲をカバーした動画がバズを生み、オリジナルがSpotify Global Viralチャート上位にランクイン。40年以上前の日本の曲が“現代のヒット曲”として蘇るという異例の現象が起きた。
 これらを皮切りに、YouTubeの関連動画を通じて、世界中の若者がシティポップの“沼”に引き込まれていった。
 アメリカ、ブラジル、インドネシア、フランス──コメント欄には国境を越えた熱狂が並び、シティポップは“音楽のタイムカプセル”として再発見されたのだ。

海外で再評価された代表的楽曲たち

 海外で再評価された曲の多くは、いずれも当時の日本では“普通のポップス”としてリリースされていた。しかし、現代の耳から聴くと、洗練されたコード進行、アナログな質感、メロウなグルーヴが、逆に“新鮮”に響く。

竹内まりや「Plastic Love」(1984)

     最も象徴的な再評価曲。2017年頃からYouTubeを中心に世界的ブームとなり、再生回数は1億回を超えた。
     英Pitchfork誌は「この曲はアルゴリズムが偶然見つけた“日本の都会のメランコリー”」と評している。
     現在では“シティポップの代名詞”として海外フェスやDJイベントでも頻繁に使用される。

    松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979)

     Spotifyグローバルバイラルチャートで1位(2020年)。
     YouTube再生数は6,000万回超。海外の女性リスナーの支持が特に厚く、「夜の切なさ」「レトロで心地よい悲しみ」が共感を呼んでいる。

    杏里「Remember Summer Days」(1983)/「悲しみがとまらない」(1983)

     ロサンゼルス録音によるAORスタイルで、海外リスナーには“日本のオリビア・ニュートン=ジョン”のように捉えられている。
     近年、韓国・台湾・欧州のDJによってリミックス/サンプリングされ、クラブトラック化している例も多い。

    大貫妙子「Summer Connection」(1977)/「都会」(1979)

     エレクトリック・ピアノと繊細なボーカルによる浮遊感。Spotifyでのリスナーの6割以上が海外ユーザー。
     “静かな夜の東京”というイメージを象徴する楽曲として、海外メディアでも頻繁に紹介される。

    角松敏生「Sea Line」(1984)/「Do You Wanna Dance」(1985)

     アメリカ西海岸のAORサウンドと日本的メロディの融合。
     海外のレコードコレクターの間では「Toshiki Kadomatsu=Japanese Groove King」と呼ばれ、再発盤は高値で取引されている。

    佐藤博「Say Goodbye」(1985)

     YMO周辺のフュージョン・サウンドを背景にした都会的メロウ・グルーヴ。
     Light in the Atticのコンピ盤『Pacific Breeze』収録により、欧米でも高評価を得た。

    山下達郎「Love Talkin’」「Sparkle」「Ride on Time」

     世界的なDJやプロデューサーがサンプリングする楽曲群。
     “日本のスティーヴィー・ワンダー”と称され、Spotifyでは月間150万人以上が聴いている。
     近年は、NetflixドラマのBGMとしても使用され、Z世代に新たなリスナー層が広がっている。

    EPO「う・ふ・ふ・ふ」(1983)/「土曜の夜はパラダイス」(1982)

     近年リイシューされ、欧州レーベルによる再発で再注目。
     海外のDJがプレイリストに多用する“都会的でポップな女性ボーカル曲”として人気が高まっている。
     2025年には新作『EPOFUL』も発表し、現役感を示している。

    山下達郎×竹内まりや夫妻の作品群

     夫婦による制作ラインは「Japanese Popの完成形」として、海外の音楽批評家からも注目を集める。
     1980年代の日本ポップスが“夫婦ユニットによるサウンド・プロダクション”を確立していた点が、現代の海外リスナーにとって驚きとなっている。

    海外の文化圏での広がり

     YouTubeやTikTokでバズを生んだのち、シティポップは次第に“国や文化の壁”を越えて広がっていった。

     東南アジア(インドネシア/マレーシア)では、英語や日本語をミックスした“City Pop Remake”がトレンド化。若手シンガーが80年代風MVを再現している。

     韓国では、IUやYUKIKAが「ネオ・シティポップ」スタイルを打ち出し、Spotifyでの再生数が1億回を超える。

     アメリカ・ヨーロッパでは、DJイベント「Tokyo Night」「Neo City Vibes」などが定期開催され、シティポップ専門レコードバーも登場している。

     ブラジルでは、“City Pop Bossa”と呼ばれるリミックスが人気で、海辺の映像やカクテル・ライフスタイルの動画とともに使われている。

     こうして、1980年代に“東京の音”として生まれた音楽が、今や“世界の夜”を彩るBGMとして機能しているのだ。

    国内での再評価と世代交差

       海外発のブームを受け、日本国内でもリイシュー・特集・ライブ復活が活発化している。
       Light in the Atticの『Pacific Breeze』シリーズ、ソニーミュージックの“CITY POP ON VINYL”企画、ユニバーサルの“CITY POP BEST”など、再発レーベルが次々と誕生。
       EPO、杉山清貴、大橋純子、稲垣潤一などがアニバーサリーライブを開催し、“懐かしさ”と“今の音”が交錯するステージを見せている。
       また、Z世代のクリエイターが80年代のアートワークを模したMVを制作するなど、音楽以外の領域でもリバイバル現象が続いている。
       「昭和レトロ」「80sチル」といった言葉がTikTokで流行し、若い世代にとっての“自分で見つけた古い新しさ”として定着している。

      いま、なぜ世界が惹かれるのか

         現代のリスナーにとって、シティポップは単なる懐古ではない。日本語の響きの美しさ、都会的で洗練されたコード進行、アナログ録音のぬくもり。それらが、デジタル時代の冷たさに疲れた人々に“ちょうどいい距離の心地よさ”を与えている。
         Spotifyなどのグローバルデータによれば、シティポップのリスナーの7割以上が日本国外。特にアメリカ、インドネシア、メキシコ、ブラジルの若者層が中心を占める。
         「言葉は分からないけど、感情は伝わる」というコメントが象徴するように、シティポップはもはや“日本語ポップス”ではなく、“世界共通の感情言語”として響いている。

        結びに──シティポップは、永遠の“現在進行形”

           シティポップの再評価は、単なるリバイバルではない。それは、1980年代の日本が描いた“理想の都会の姿”を、2020年代の世界が再発見した物語である。今、東京の夜景を知らない海外の若者が、松原みきの声を聴いて涙を流す。EPOが沖縄の海辺から新しいアルバムを発表し、竹内まりやが静かに微笑む。
           シティポップは、時代も国境も超えて“心の風”を運び続けているのだ。

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