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はじめに
科学の世界では、発見そのものが評価されると同時に、そこに込められた「問い」「社会との関係」「人類への貢献」という意味が問われています。とりわけ、ノーベル賞を受賞した科学者たちを見ると、単に“何を発見したか”というだけでなく、“なぜそれを発見したか”“その先に何を目指したか”という問いが浮かび上がります。
本稿では、2025年にノーベル生理学・医学賞を受賞された坂口志文先生を起点にしながら、他の日本人ノーベル賞受賞者を加えて、「日本の科学者の精神」がどのように発展し、いまどのような姿にあるかを探ってみます。
1.坂口志文先生 —— 「免疫の調和」をめざして
滋賀県長浜市出身の坂口先生は、1951年1月19日生まれ。
京都大学医学部を1976年に卒業、同大学で博士号(医学)を1982年取得しています。
研究テーマは免疫学、特に「制御性T細胞 (Regulatory T cells; Treg)」の発見とその機能解明というものです。
「免疫系の暴走(自己免疫・アレルギー)をどう抑えるか」「つねに適切に反応するためには何が必要か」という観点からの探究でした。
2025年には、末梢免疫寛容(peripheral immune tolerance)の発見により、メアリー・E・ブルンコウ氏、フレッド・ラムスデル氏とともにノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
坂口先生の軌跡は、「拡大・激化しやすい免疫反応を、調和・抑制・制御の視点から捉える」という姿勢を象徴しています。これは、現代のパンデミック後の世界で、免疫・医療・社会が直面している問いと響き合うものです。
2.他の日本人ノーベル賞受賞者とその精神
本庶 佑先生 —— 抑制を解き、免疫を応用へ
京都大学にゆかりある本庶佑先生は、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞。彼の研究は、免疫反応を抑える仕組みであるPD-1を発見し、がん免疫療法へつなげたものです。
本庶先生の姿勢は、「免疫をいかに“制御の対象”として扱い、治療に転じるか」というもの。免疫学という内なる防御システムを、うまく“さじ加減”し、応用するという発想は、坂口先生の研究とも近しいと言えます。
益川 敏英先生 —— 素粒子物理から知の広がりを
益川敏英先生は、2008年にノーベル物理学賞を受賞。クォーク混合という素粒子物理学上の新しい視点を提示した業績で知られます。
物理学という世界の“根源”に挑みながら、益川先生は科学者としての社会的責任、知の探究者としての姿勢も掲げていました。専門の奥深さを追いながらも、知を広げ社会との接点を忘れないという姿勢は、免疫学とは異なる分野でも共通の精神と言えましょう。
野依 良治先生 —— 有機触媒で化学を問い直す
野依良治先生は、2001年にノーベル化学賞を受賞。非対称触媒という化学反応の根本を改革し、新しい合成技術の道を開きました。
化学という物質世界を扱う彼の研究も、「既存の枠を問い、より高度で繊細な調整を可能にする」という観点が貫かれています。これは、免疫制御や素粒子の混合モデルを探る科学者の思考と通じるものがあります。
吉野 彰先生 —— 地球規模での化学技術と未来への問い
吉野彰先生は、2019年にノーベル化学賞を受賞。リチウムイオン電池の発明により、エネルギー・持続可能性に向けた化学技術の新時代を切り開きました。
彼の研究は、「科学技術が地球・社会・未来とどう関わるか」を問うものであり、知の価値を“人類の生活・環境と結びつける”という方向性を示しています。
3.系譜としての“精神”の流れ
(1) 復興と知の再生期
戦後、日本の科学者たちは「敗戦からの再起」「知による国家の復興」「世界との対話」という使命を感じていました。
湯川秀樹博士のノーベル受賞(1949年)はその象徴でした。知の力で国を立て直そうという時代の科学者像がそこにありました。
(2) 専門を極め、問いを深める期
その後、1960〜80年代には、科学者は「自分の専門を深める」だけでなく「その専門が社会・倫理・地球とどう結びつくか」を自覚するようになりました。益川先生・野依先生らがこの立場を体現したと言えるでしょう。専門性の深化と同時に、研究者の責任を問う姿勢が強まりました。
(3) 調和・制御・統合の時代
21世紀に入ると、「調和」「統合」「持続可能性」というキーワードが科学の前提になってきました。免疫・環境・情報というテーマが台頭し、知のあり方も変化してきました。
この文脈で、坂口先生・本庶先生らの免疫研究、吉野先生の持続可能なエネルギー研究は、まさに「拡大・加速」だけでなく「制御・バランス」「地球との共生」を視野に入れた科学者精神を示しています。
4.坂口先生の位置づけと意味
坂口先生は、専門を極めて海外経験も重ねつつ、免疫という内的な“システム”を対象に、「活性化」ではなく「抑制」「調整」「秩序維持」という視点を打ち立てました。これは、これまでの「拡大・突破・新知見」の科学者像とは一線を画しています。
さらに、若手研究者の育成、基礎から応用へとつなげる姿勢は、科学者としての“責任”を自覚した立場そのものです。
したがって、彼は上述の系譜のなかで「調和・制御・人類と生命・地球とのバランスを問う」段階を象徴する存在と言えるでしょう。
5.私たちが学ぶべきこと
この系譜から私たちが学べることは多岐にわたりますが、その中から3点をあげます:
長期的視野で研究を選び、地道に積み上げること
坂口先生のように、免疫制御という難問に20年以上取り組んできた姿勢は、研究者のみならずすべての探究者にとって示唆的です。
専門を深めながらも、社会・地球・倫理との対話を忘れないこと
野依先生・吉野先生の化学研究や、本庶先生の医学生物研究も、技術そのものが“人類/環境との接点”を持つことを示しています。
知をもって人類・社会・生命・地球の調和に向かうこと
科学は“突破・新発見”ばかりが評価されがちですが、むしろ“どう使うか”“何を守るか”“どこへ向かうか”という問いが重要性を増しています。坂口先生の免疫研究はまさにその問いを体現しています。
おわりに
日本の科学者の精神の系譜──「知を磨き」「問いを持ち」「社会と地球とつながる」──は、時代とともに変化してきました。戦後の再建期、専門深化期、そして調和・統合期へ。
坂口志文先生は、2025年ノーベル賞を受賞されました。ノーベル賞は創設時(1901年)から、「人類のために最大の貢献をした人」に与えることを目的としていました。つまり、単なる科学的発見ではなく、社会的・倫理的価値を含む貢献が重視されています。
るまり、ノーベル賞は「発見」への賞であると同時に、その時代における人類へのメッセージを託す賞です。日本人初のノーベル賞受賞者湯川博士の時代には「平和と再生」、本年の坂口・北川両氏の時代には「生命と地球の調和」がテーマとなっている――まさにそう読み解くことができます。
坂口志文先生は、そのなかで「制御と調整」「生命の内部と社会・地球とのつながり」という新たな視点を提示した先駆者です。
私たちはその流れを受け継ぎつつ、次の世代へと問いを繋いでいく責任があります。知の灯火は、受賞者個人の功績にとどまらず、研究者の倫理・探究の姿勢・そして人類と地球への問いかけとして、未来へ向けて揺るぎなく燃え続けるものなのです。
坂口志文先生の今後の発言、ご活躍を念じるとともに、底に込められたメッセージも考えていきたいと思います。
