松原みき(まつばら みき、1959年11月28日 ‐ 2004年10月7日)は、日本のシンガーソングライターであり、1970年代後半から80年代にかけて活躍したアーティストです。ジャズやロックをベースに、当時日本で芽生えていた「シティポップ」という新しい音楽スタイルを体現し、その代表的な楽曲「真夜中のドア〜Stay With Me」で知られます。デビュー当時は新しい才能として注目されましたが、近年、特にインドネシアを中心にSNSやストリーミングを通じて再び注目を浴び、シティポップの国際的なアイコンとして再評価されています。
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幼少期から音楽への道
大阪府岸和田市に生まれた松原みきは、幼少期から音楽と密接に関わって育ちました。母親がジャズ歌手であり、その影響で自然とピアノを習い始め、ジャズやポピュラー音楽に触れる環境に恵まれていました。小学校から高校にかけてはピアノの演奏だけでなく、バンド活動にも積極的に参加し、キーボード奏者としてライブハウスでの演奏経験を重ねています。京都の老舗ライブハウス「磔磔(たくたく)」などで活動した記録も残っています。
高校時代には次第に歌唱力も評価され、仲間内で「歌うキーボード奏者」としての存在感を発揮。やがて本格的にプロの歌手を志すようになり、東京へと活動拠点を移しました。文化女子大学附属杉並高等学校に転入後は、米軍キャンプやジャズクラブなどで歌い、幅広い音楽ジャンルに触れて実力を磨きました。こうした経験はのちの彼女の音楽に色濃く反映されています。
デビューと「真夜中のドア〜Stay With Me」
1979年11月5日、19歳のときにシングル「真夜中のドア〜Stay With Me」でデビュー。キャニオンレコードからのリリースで、作曲は林哲司、編曲は松任谷正隆が担当しました。オリコンチャートでは最高28位を記録し、10万枚以上を売り上げるなど、当時としては新人にとって大きな成果でした。
「真夜中のドア〜Stay With Me」は、都会的で洗練されたメロディーに加え、松原みきのハスキーで情感豊かな歌声が融合し、聴く人に強烈な印象を残しました。ジャズの香りを漂わせながらもポップスとしての親しみやすさを兼ね備え、歌謡曲と洋楽の間を橋渡しするような楽曲として評価されています。
当初は爆発的な大ヒットとまではいきませんでしたが、ラジオや深夜番組などで愛され続け、後の世代に受け継がれていく重要な作品となりました。
アルバムと多彩な活動
松原はその後もアルバム『POCKET PARK』(1979年)、『WHO ARE YOU?』(1980年)などを発表し、ポップス、AOR、ファンク、ジャズを自在に取り入れた作品を次々とリリース。歌手としての活動にとどまらず、作詞・作曲家としても数多くの楽曲を提供しました。
1980年代にはアニメソングやCMソングも手掛け、特に『Gu-Guガンモ』の主題歌を「スージー・松原」名義で歌うなど、ポップで明るい一面も披露。NHK「みんなのうた」への楽曲提供など、子どもから大人まで幅広い世代に音楽を届けました。
彼女の作品は単なる流行歌にとどまらず、都市生活のきらめきと孤独、華やかさと切なさを同時に描き出す独自の世界観を持っており、音楽評論家からも高い評価を受けています。
インドネシアからの再評価と世界的広がり
松原みきの音楽は、彼女の死後しばらくの間は一部の音楽ファンの間で語り継がれる存在でした。しかし2020年頃から、思わぬ形で再び世界に注目されることになります。そのきっかけとなったのが、インドネシアの女性シンガー Rainych(レイニッチ) による「真夜中のドア〜Stay With Me」のカバーです。


Rainych はYouTubeを中心に活動していたアーティストで、透明感のある歌声で日本語曲をカバーすることで人気を集めていました。彼女がこの曲をカバーしたことにより、若い世代がオリジナルにも興味を持ち、SpotifyやYouTubeで松原みきの楽曲が爆発的に再生される現象が起こりました。
その後、オリジナル版はSpotifyの「グローバル・バイラル・チャート」で1位を獲得。インドネシア国内チャートでも上位にランクインし、やがてアジア各国、さらには欧米へと広がっていきました。SNSやTikTokでの動画投稿を通じて、40年前の日本の楽曲が新たな命を得たのです。
この再評価の動きは単なる一過性のブームではなく、日本の「シティポップ」というジャンルそのものを世界に知らしめる契機となりました。そしてその中心には、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」がありました。
晩年と早すぎる死
1990年代以降、松原みきは歌手としての活動を控え、作曲や楽曲提供を中心に活動。CMソングやアニメ作品、さらにはNHK「みんなのうた」への提供曲「雨のちスペシャル」などを手掛け、裏方としての才能を発揮しました。
プライベートでは、バックバンドでドラマーを務めていた本城真樹と結婚。音楽活動を支え合う関係にありました。しかし2001年、子宮頸がんが見つかり、活動を停止。その後闘病を続けましたが、2004年10月7日、44歳という若さでこの世を去りました。訃報が公表されたのは同年12月で、ファンに大きな衝撃を与えました。
遺したものと現在の意義
松原みきが残した作品は、単なる懐メロとしてではなく、今なお現代の音楽シーンに影響を与え続けています。
シティポップの象徴
松原の音楽は、1970〜80年代の日本の都市文化を象徴するサウンドとして世界的に再評価されています。
国際的な架け橋
インドネシアからの再評価をきっかけに、アジア諸国や欧米でも注目され、言語や世代を超えて共感を得ています。
後進アーティストへの影響
カバーやリミックスを通じて、現代の若いアーティストがインスピレーションを受け、新しい音楽の形に生かしています。
終わりに ― ドアの向こうで響き続ける歌声
松原みきの生涯はわずか44年と短いものでしたが、その音楽は時を超え、国境を超えて生き続けています。「真夜中のドア〜Stay With Me」がインドネシアを起点に再び注目を集めたことは、彼女の音楽が持つ普遍的な魅力の証といえるでしょう。
都会の夜を彩り、孤独と希望を同時に抱かせるその歌声は、今もなお私たちの心に「Stay With Me」と語りかけています。松原みきは、昭和の一歌手にとどまらず、世界に響き続ける音楽の象徴として、これからも新しい世代に発見されていくことでしょう。