映画、テレビドラマ、舞台、バラエティ、そして監督業に至るまで、多岐にわたる分野で唯一無二の存在感を放ち続ける俳優、奥田瑛二。鋭い眼光と渋みのある声、そしてどこか憂いを帯びた独特の雰囲気が彼の最大の魅力だ。硬派な役からユーモラスな役まで自在に演じ分けるその演技力は、多くの人々を魅了してきた。しかし、彼の魅力は俳優業にとどまらない。一歩踏み込むと、彼は著名な芸術家を妻に持ち、二人の娘もまた芸能界で活躍するという、まさに「芸能一家」を築き上げた父親でもある。ここでは、俳優・奥田瑛二のキャリアと、彼を支えるプライベートな側面に光を当てていく。
Contents
波乱万丈のデビューまで
1950年3月18日、愛知県一宮市に生まれた奥田瑛二(本名:安藤豊明)。彼の少年時代は、現在の彼のイメージとは少々異なるものだった。実家は繊維業を営んでおり、比較的裕福な家庭で育った彼は、幼い頃から人前で何かを表現することに喜びを感じていたという。しかし、演劇の世界に本格的に足を踏み入れるまでには、いくつかの紆余曲折があった。
高校卒業後、彼は一度は別の道に進もうと、早稲田大学第一文学部演劇科に進学する。この頃から演劇の道を志すようになるが、大学生活は彼にとって順風満帆なものではなかった。当時の演劇界の閉鎖的な雰囲気に反発を感じ、また、自身の進むべき道に迷いを感じた彼は、大学を中退。その後、様々な職業を転々とすることになる。バーテンダー、ホスト、モデル、日雇いの肉体労働者など、多種多様な仕事を通じて、彼は社会の光と影、人間の複雑さを肌で感じ取っていった。この時期の経験が、後に彼の演技に深みを与える大きな財産となったことは想像に難くない。
再び役者の道を目指し、彼は俳優養成所に入所。しかし、ここでも彼の反骨精神は健在だった。既存の演劇の型にはまることを嫌い、自分自身の表現方法を模索し続けた。そして、ついにその才能が開花する。1976年、彼はTBSのテレビドラマ『男たちの旅路』で俳優としてデビュー。当時はまだ無名だったが、その個性的な存在感は徐々に注目を集めるようになっていった。
多岐にわたる代表作品群
奥田瑛二のキャリアは、数々の印象的な作品で彩られている。特に80年代から90年代にかけては、彼の俳優としての地位を確固たるものにした時期と言える。
【映画】

彼の代表作としてまず挙げられるのは、1986年の映画『海と毒薬』だろう。太平洋戦争末期、人体実験に手を染める医師を演じ、その冷徹かつ狂気じみた演技は国内外で高く評価された。この作品はベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞するなど、国際的な舞台でも彼の名を轟かせた。 また、1990年の『千利休 本覺坊遺文』では、千利休の弟子である本覺坊を演じ、利休の死後もその精神を追い求める男の苦悩を見事に表現した。 他にも、1994年の『居酒屋ゆうれい』では、ユーモラスでどこか人間味あふれる亭主を演じ、コメディにおいてもその才能を発揮。2005年の主演作『るにん』では、妻を失い彷徨う男の悲哀を深く演じ、第29回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、多くの映画賞を受賞している。
さらに、彼は2001年に『少女〜an adolescent』で映画監督としてもデビュー。この作品は性的な題材を扱ったことで話題を呼んだ。以降も『るにん』、『棒たおし!』、『長い散歩』など、監督として意欲的に作品を発表し、その才能は多方面にわたる。
【テレビドラマ】
テレビドラマにおいても、彼の存在感は圧倒的だ。1980年代後半から1990年代にかけて放送されたフジテレビの『このこ誰の子?』や、1993年のNHK大河ドラマ『炎立つ』での藤原忠衡役など、個性的な役柄を数多く演じた。近年では、2018年のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』でのユニークな役柄が視聴者に強い印象を残し、若い世代にも彼の名が知られるきっかけとなった。
【バラエティ】
意外なことに、バラエティ番組でも彼は才能を発揮している。1990年代に放送されていたフジテレビの『ダウンタウンのごっつええ感じ』では、コントに登場し、強烈な個性を発揮。その演技は、ダウンタウンをはじめとするお笑い芸人たちからも高く評価された。また、近年ではクイズ番組などにも出演し、その飄々としたキャラクターで視聴者を和ませている。
知られざる「芸能一家」の私生活
奥田瑛二を語る上で欠かせないのが、彼の家族の存在だ。奥田家は、妻、二人の娘、そしてその夫や孫に至るまで、芸能・芸術の分野で活躍する人々が揃う、稀有な「芸能一家」として知られている。
【妻・安藤和津(あんどう かづ)】

奥田瑛二の妻は、エッセイストでコメンテーターとしても活躍する安藤和津だ。彼女は1948年生まれ、奥田よりも2歳年上。元TBSアナウンサーの安藤源一郎と、小説家で元日本大学教授の高見澤和子を両親に持つ。つまり、彼女自身も元々、知的で文化的なバックグラウンドを持つ家庭で育った人物である。
安藤和津の父親は、第29代内閣総理大臣を務めた犬養毅(いぬかい つよし)の三男である犬養健(いぬかい たける)です。犬養健氏もまた、政治家として法務大臣などを歴任しています。したがって、安藤和津さんは、犬養毅を祖父に持つことになります。
この事実は、彼女がエッセイストやコメンテーターとして活躍する上で培われた、多角的な視点や知識の土台の一つとなっていると言えるでしょう。
安藤和津自身も、国際連合の職員として働いた経歴を持ち、海外生活も豊富。帰国後、テレビやラジオでコメンテーターとして活躍する傍ら、エッセイストとしても多数の著書を発表している。社会問題や子育て、介護など、幅広いテーマについて発信し、多くの人々の共感を得てきた。彼女の多才さと、奥田瑛二の芸術家としての感性が、互いに刺激し合う関係性は、夫婦として理想的なものと言えるだろう。
【子供たち】
奥田瑛二と安藤和津の間には、二人の娘がいる。長女は女優の安藤モモ子、次女は女優の安藤サクラだ。
長女 安藤モモ子

長女の安藤モモ子は、1982年生まれ。彼女は母親同様、早稲田大学に在学中から映画製作に興味を持ち、海外留学を経て、映画監督としてデビューした。2010年に発表した初監督作品『カケラ』は高く評価され、その後も精力的に映画製作を続けている。彼女の作品には、独特の感性と、女性ならではの視点が色濃く反映されている。
次女 安藤サクラ

次女の安藤サクラは、1986年生まれ。彼女もまた、演技の世界で異彩を放つ女優として知られている。2014年の映画『百円の恋』で、ボクシングに目覚める引きこもりの女性を熱演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、数々の賞を総なめにした。彼女の演技は、リアルで感情豊か、そして見る者を惹きつける独特のオーラに満ちている。2018年にはNHK連続テレビ小説『まんぷく』でヒロインを務め、国民的女優としての地位を確立した。
安藤サクラの夫もまた、俳優の柄本佑(えもと たすく)であり、彼もまた父(柄本明)も兄(柄本時生)も俳優という「芸能一家」の出身だ。この二つの芸能一家が結びついたことで、日本の芸能界における彼らの存在感は、さらに大きなものとなっている。
奥田瑛二は、多才な妻と、才能あふれる二人の娘たち、そしてその家族に囲まれ、時にユーモラスに、時に厳しく見守る父親・夫としての顔も持っている。彼の俳優としての深みや人間的魅力は、こうした家族との絆によって育まれてきた部分も大きい。
奥田瑛二という表現者、これからも
デビューから半世紀近くが経った今も、奥田瑛二は第一線で活躍し続けている。その演技は円熟味を増し、見る者に深い感動を与える。そして、監督としての才能も開花させ、自らの手で作品を生み出す表現者としての道を歩んでいる。彼が演じる役柄一つ一つに、彼の波乱万丈な人生と、彼を支える家族の存在、そして彼自身の芸術家としての魂が宿っている。これからも、奥田瑛二という唯一無二の表現者は、私たちに多くの感動と驚きを与え続けてくれるだろう。