孤高の女優、岩下志麻が見せる「静」と「動」の二面性

 岩下志麻と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、映画『極道の妻たち』シリーズで演じた、男勝りで強烈な存在感を放つ姐さん役だろう。鋭い眼光と毅然とした態度、着物姿でドスを効かせる姿は、まさに「極妻」そのものであり、彼女の代名詞となった。しかし、そのイメージとは裏腹に、彼女のプライベートな一面や、これまでのキャリアを振り返ると、そこには驚くほど静かで、繊細な横顔が浮かび上がってくる。

幼少期から「松竹の顔」へ

 岩下志麻、本名・野上志麻は、1941年、東京都中央区に生まれた。父は俳優の野上明。幼い頃から、父の出演する舞台や映画に触れる機会が多く、自然と演劇の世界に興味を持つようになった。慶應義塾大学文学部に入学後、父の勧めで松竹のニューフェイスに合格し、1960年に『笛吹川』で銀幕デビューを果たす。

 デビュー当初から、その端正な顔立ちと凛とした佇まいは注目を集め、松竹の看板女優として次々と作品に出演する。小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』(1962年)では、主人公の娘役を演じ、瑞々しい演技を披露。また、木下惠介監督の『香華』(1964年)では、複雑な女性の人生を演じ切り、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞するなど、演技派女優としての地位を確立していく。

映画監督・篠田正浩との出会いと、公私にわたるパートナーシップ

 岩下志麻のキャリアにおいて、公私ともに大きな転機となったのが、映画監督・篠田正浩との出会いである。1964年、篠田監督の『乾いた花』に出演したことをきっかけに、二人は深い絆で結ばれ、1967年に結婚。以降、岩下は篠田作品のミューズとして、数々の傑作を生み出していく。

 篠田監督とのタッグで生まれた代表作としては、『心中天網島』(1969年)、『沈黙』(1971年)、『卑弥呼』(1974年)などがある。特に『心中天網島』では、人形浄瑠璃の「心中天の網島」を現代的な視点で描いた作品で、岩下は夫を裏切る女を演じ、その妖艶な魅力と悲劇的な運命を鮮烈に表現した。これらの作品で、彼女は従来の清純なイメージから脱却し、より複雑で深みのある役柄に挑戦。女優としての表現の幅を広げていった。

そして「極道の妻」へ

 1986年、彼女のキャリアを決定づける作品と出会う。それが、五社英雄監督の『極道の妻たち』である。任侠の世界に生きる男を支える、強く、そして哀しい女たちを描いたこのシリーズで、岩下志麻は、主人公・岩井志麻子を演じた。

 この役は、それまでの彼女のイメージを大きく覆すものであった。時に夫のために暴力も厭わない凄み、男たちを従わせる威厳、そして、女の情念と悲哀。着物姿でドスを構え、啖呵を切る姿は、まさに「極妻」そのものであり、社会現象を巻き起こした。彼女の強烈な存在感は、シリーズを大ヒットへと導き、以降、彼女は「極妻」のイメージを背負うこととなる。しかし、この役は彼女にとって、女優としての新たな境地を開くものでもあった。内に秘めた情熱と、静かな佇まいの奥に潜む強さを、見事に融合させた演技は、多くの観客を魅了した。

「極妻」以降の活動と、私生活

 『極道の妻たち』シリーズ以降も、岩下志麻は精力的に活動を続ける。映画では、黒澤明監督の『夢』(1990年)に出演し、狂言を演じる女性役で新境地を開いた。また、テレビドラマでは、2000年代に入ってからも、重厚な役柄からコミカルな役柄まで幅広く演じ、多くの視聴者を惹きつけた。

 私生活においては、監督である篠田正浩と、公私にわたるパートナーとして、長きにわたり連れ添ってきた。仕事とプライベートを両立させながら、女優としての道を歩み続けた彼女の姿は、多くの女性から共感と尊敬を集めている。近年は、第一線での活動は控えめになっているものの、その存在感は揺るがない。

 かつては「松竹の顔」として、清純な役柄で人気を博し、その後は「極妻」として、強烈な存在感を放った岩下志麻。しかし、そのどちらのイメージにも収まりきらないのが、彼女の魅力だ。公の場で見せる、凛とした佇まいと、時折見せるユーモラスな笑顔。そして、何よりも、彼女が演じる役柄に真摯に向き合い、その内面まで深く掘り下げる、女優としての静かな情熱こそが、彼女を孤高の存在へと押し上げたのだ。

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