1970年代後半に活躍したバンド「世良公則&ツイスト」、当時を知る世代はもちろんですが、今の若い方でも「世良公則&ツイスト」の名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?そんな世良公則&ツイストのプロフィールと最近の状況を調べてみました。
ツイストについて

バンド名はブラック・ミュージックを理解しておいた方が良いと思ったメンバー全員がサム・クックの「Twistin’ the Night Away」を聴いていると「Twisting’ Twisting’」と歌っており「Twist=ひねくれ」でもあるのでバンド名を「ツイスト」にしようとメンバー全員で決めたそうです。
「ツイスト」は「プロへの登龍門」と呼ばれた1977年10月のポプコンにおいて、「あんたのバラード」でグランプリを受賞します。フォーク・ニューミュージック系シンガーが多かった当時のポプコンでロックバンドがグランプリを受賞するのは初めての事でした。
同年11月には武道館で開催された第8回「世界歌謡祭」でもグランプリを獲得します。
こうして注目を浴びてプロデビューが決まりますが、世良公則さんと神本宗幸さん以外のメンバーがプロとして活動することを拒否したため、大学のバンド仲間で別バンドに所属しているプロ志向の仲間たちを加入させることになります。
世良公則&ツイスト
その時の新メンバーたちが「『あんたのバラード』は世良が作った曲だし、世良の名前を残そう」と言ってくれたために、世良公則さんがその行為を受け取り「世良公則&ツイスト」にバンド名を変更しました。
デビュー後のメンバーは、ボーカル・ギター世良公則さん、ドラムスふとがね金太さん、ベース鮫島秀樹さん、キーボード神本宗幸さん、ギター太刀川紳一さん・大上明さんです。
デビュー曲「あんたのバラード」では静かなピアノのイントロから一転する世良公則さんのあまりにもワイルドなボーカルスタイルとド派手なアクションは多くの人の度肝を抜きます。
「あんたのバラード」はオリコン最高6位で46万枚のセールスを記録し続くシングル「宿無し」「銃爪」「性」と立て続けに大ヒットを飛ばし、世良公則&ツイストは一世を風靡しました。当時「Char」「原田真二」と共に「ロック御三家」と呼ばれます。
ロックバンド・ミュージシャンがシングルヒットを続けるのはそれまで前例が無く、ロックを大衆化する推進力となりました。また、1978年7月に発売したデビューアルバム「世良公則とツイスト」はオリコンで1位を記録し発売と同時に40万枚を売り上げました。
日本のロックバンドとしてはデビューアルバムがチャートの1位を記録したのは、このアルバムが初めてとのことでした。
世良公則&ツイストはロックバンドとして初めてアイドル雑誌の表紙も飾り、これがろっくとは無縁だったファンを獲得しました。それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓して新たな潮流を生み出すきっかけとを創り出します。特にボーカルの世良公則さんはセクシーで色気があり女性の目をロックに向けさせました。また世良公則さんの独特のドスの効いた声に、スタンドマイクを縦横無尽に操りながら歌うスタイルは、多くの男子中高生が放課後の清掃の時間に柄の長いほうきをマイクに見た立ててマネをしていました。しかし、当時世間一般ではロック=不良というイメージがあったために人気者になった後もロックミュージシャンへの偏見は強く、生徒手帳に「世良公則とツイストのコンサートに行ってはいけない」という校則が書かれていた学校もあったそうです。
基本的に楽器を持たず、ボーカルに徹する強力なボーカリストをフロントに立たるバンドスタイルは、世良公則とツイスト以降、「甲斐バンド」、「ゴダイゴ」、「RCサクセション」らが商業的に成功したことで、日本のロックバンドの一形態を作ったと言えます。
この世良公則とツイストらが興したロックのメジャー化は後のロックバンドへも多大な影響を与えることになりました。デビュー時から世良公則さんの人気が突出しており、バンドながら雑誌類では世良公則さん一人での露出も多々ありました。大半の楽曲も世良公則さんが手掛けていたため世良公則さんだけが注目されたことで、他のメンバーはただのバックバンドとして見られるようになってしまいます。このことでバンドの結束を危惧した世良公則さん自身がバンド名から世良の名前を外すとメンバーに提案し、バンド名を「ツイスト」に改名しました。
再び、ツイストへ
1979年春の全国ツアー終了後、ギター太刀川紳一さんが脱退し松浦善博さんが加入します。改名後もの人気は衰えず、1979年4月にリリースした2枚目アルバム「ツイストⅡ」は、オリコン1位を獲得しました。
さらにシングルリリースした資生堂の’79夏キャンペーンイメージソング「燃えろいい女」も大ヒットし続くシングル「SOPPO」もヒットし、この年の紅白歌合戦にも出場します。
しかし、人気絶頂期だった1980年に世良公則さんが25歳の若さで結婚すると女性ファンが一気に離れてしまいます。そのため「ツイスト」の活動も低迷し1981年11月に発売された11thシングル「SET ME FREE」を最後に12月に解散してしまいました。
約4年弱の活動期間でしたが、間違いなく日本の音楽史に大きな爪痕を残したと言えます。以降は何度か再結成をしましたが、2003年以降はライブ活動はしていません。いつの日かまた再結成をして迫力のあるライブをやってもらいたいものです。
以下は、メンバーのその後です。
世良公則さん

まずはボーカル&ギターの世良公則さんです。
解散後はソロでの音楽活動の傍ら俳優業にも力を入れ始めます。俳優としての世良公則さんの代表作には、伝説の人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の春日部一(通称・ボギー)役が挙げられます。
当時既に大物アーティストの地位を固めていた世良公則さんですが、出演前に「歌手じゃなくて俳優として来たのだから新人扱いで良い」と番組プロデューサーに要請していたそうです。また「太陽にほえろ!」の挿入歌を担当する話も持ち上がっていましたが、俺の歌は番組のカラーに合わないと依頼を断っています。なおボギー刑事の人気が爆発した結果、当初は1年間の出演予定だった番組出演期間が半年も延長されたそうです。
その他にも1986年に放映されたNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」ではヒロインの夫役を演じるなど俳優としても活躍しました。
プライベートでは人気絶頂の1980年に25歳の若さで結婚しています。結婚相手は高校時代の同級生・柳井典子さんという当時化粧品会社に勤めるOLでした。2人は高校時代より交際しており8年間も純愛を貫いた末に結婚に至りました。その後2人の子度をもうけています。
1998年から約3年間はレコード会社に所属せずにライブ活動に専念し、1999年になると引き語り形式のソロ・アコースティックライブを本格的に始めます。
2000年に自主レーベル「Spicule」を立ち上げました。2003年ツイスト時代の曲をセルフカバーした「照TWIST SONGS」をリリースされます。ロサンゼルスで録音したこのアルバムの交友関係が元になり海外ミュージシャンとのユニット「TWIST INTERNATIONAL」が誕生し、2003年10月には日本武道館公演を行いました。
2004年CMで共演した宇崎竜童さん岩城滉一さんと共に3ピースのアコースティックユニック「GENTLE3」を結成し、各地でライブを行った他ライブアルバムもリリースしました。
2006年から盟友の野村義男さんと共にアコースティックユニット「音屋吉右衛門」として活動を開始します。
2008年1月にデビューシングルとして新番組「ヤッターマン」の主題歌をアコースティックアレンジでカバーするとCD発売に先駆けて開始された配信系販売ルートでのダウンロード数は3万曲以上を記録し、配信開始1カ月CD発売10日前後の時点で通算5万枚のセールスを記録するスマッシュヒットシングルとなりました。
2016年7月福山市市制施行100周年記念イベント「帰ってきたSAMURAI世良公則ライブ!!」を開催します。福山城天守閣前に特設ステージを組み福山城の敷地内にてライブを行い、史上初の福山城野外ロックライブとなりました。
デビュー40周年となる2017年には新曲のみで構成されたものとしては15年振りとなるフルアルバムをリリースしたほか、ツイスト結成の地・大阪の大阪城野外音楽堂にて親交のあるミュージシャン達を多数招いての記念ライブも開催されました。
近年の世良公則さんは音楽活動の傍ら俳優業も継続されています。
社会現象になったドラマ「マルモのおきて」に畑中陽介役で出演しており、健在ぶりをお茶の間にアピールしました。エンディングで披露したダンスもお茶目でした。
また、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に出演した際に、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」を熱唱したことが視聴者の間で話題となり、2022年3月30日には再レコーディングされた楽曲が配信リリースされました。
2010年2月にNHK教育の教養番組「趣味悠々」に出演して陶芸に挑戦してから陶芸にハマり、グループ展や茶会などを開催しています。2022年4月には旧知の仲の陶芸家たちの作品を集めた酒器展「世良公則feat.『AKATSUKI/暁坏』酒器展」をプロデュースしました。
2022年5月サザンオールスターズの桑田佳祐さんと世良公則さんを中心に、佐野元春さん、Charさん、野口五郎さんなど全員が同じ年の大物ミュージシャンが結集して制作されたチャリティソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」がリリースされました。
5月23日にチャリティ配信シングルが発売されると6月6日付のオリコン週間デジタルシングルランキングにて初出場1位を獲得し、この年の「NHK紅白歌合戦」にも出演しました。
この楽曲で得た収益の一部は世界中の子どもたちの未来と命を守るため「Save the Children」に寄付されたとのことです。
2022年9月俳優の佐藤浩市さんをスペシャルゲストボーカルとして招き、プロデビュー前からの盟友・神本宗幸さんらとともに45周年記念ライブを行いました。
ソロアーティストに転向して40年以上経った今もアコースティックギターを中心としたライブを全国で行っているといいます。「声も若い頃より出ているし、ギターも効率よく弾けるようになった。いまがいちばん楽しい」と古希を目前に控えた世良公則さんは語っていました。
音楽活動に俳優業とマルチに活躍している世良公則さんの今後の活動にも注目していきたいですね。
ふとがね金太さん
続いてはドラムス・ふとがね金太さんの現在の様子です。現在はロックのイメージがありません。
解散後は役者の先輩から「お前そんなに声がいいんだったら、結婚式の司会をやってみるか?」とすすめられて一時司会業をしていました。

1982年ソロシンガーとしてシングル「女はMissを許さない」アルバム「失敬!!」でデビューし2ndシングル「愛・THROUGH THE NIGHT」は各地有線で上位を独占します。
1983年から俳優の竜雷太さんが社長を務めるアクターズ・プロモーションに所属し、俳優・司会・ナレーターとして多方面で活動します。「吉野家」「Panasonic nanoe」「ユニクロ」「ミスタードーナッツ」などの有名CMのナレーションもつとめました。
またナレーターと同時に俳優としても活動しています。1988年タイのバンコクに進出しアイドルスター「LEOPUT」に楽曲を提供し30万枚を売り上げました。
2000年に3枚目のアルバム「KRUNGTHEP」の発表を期にアジアンポップスユニット「KING CHANG」を結成しました。
2009年にゴダイゴ・浅野孝巳さん、ハウンドドッグ・鮫島秀樹さん、サザンオールスターズ・松田弘さんと共にユニット「Forever 50」に参加しライブを中心に活動します。
2012年「デビュー35周年記念ライブ」と共にシングル「頑張らねば」を発表しました。また、浅野孝巳さんとのアコースティックユニット「菴羅(ANRA)」のバリ島・バンコクツアーを開催します。
2019年に「金太ファミリーバンド」として昔の仲間とツイストのライブを開催しました。
2023年11月に8枚目のアルバム「昭和歌謡バラエティVol.1」を発売します。同年に5年振り7度目のバンコクライブを開催しタイ在住日本人と共に大いに盛り上がったそうです。
プライベートでは結婚して子供が3人、孫4人いるとのことで家族に囲まれてとても幸せそうです。
鮫島秀樹さん

続いてはベース・鮫島秀樹さんの現在の様子です。
解散後は「HOUND DOG」のサポートメンバーを経て正式加入し2005年までメンバーとして活動していました。
現在はプロデュースや1994年に始動したブルーズバンド「The Sons」(結成時のバンド名は「SONS OF BLUES」)での活動、その他多数のセッションで精力的に活動しています。
また自身のラジオ番組「Same’s Bar」など精力的に活動範囲を広げています。
プライベートでは結婚していてお子さんはミュージシャン、プロデューサーの鮫島巧さんとタレント岡田れえなさんです。
2014年愛娘の岡田れえなさんが26歳という若さで急性心不全のためこの世を去りました。
2023年に鮫島秀樹さんを中心に集まった異ジャンルなメンバーによる6人編成のバンド「S.S.P Special Version」のライブでは、90年代のUKサウンドを中心にロック・ポップス・ディスコ・ソウル・歌謡曲などのカバー楽曲をスキルグルーヴ・ハーモニーで魅了しました。
お子様の病死という辛い出来事を乗り越え、音楽活動を精力的に続ける鮫島秀樹さんを応援したいものです。
松浦善博さん

ギター・松浦善博さんの様子です。
解散後の1984年ソロアルバム「THIS TIME FOR YOU」を発表しました。1985年から5年間ほどエピックソニーレコードで働いていました。
1989年に奥田民生さんが中心となり結成したバンドに参加します。バンドは正式なバンド名を持たないまま幾つかのイベントに出演し、「THE BAND HAS NO NAME」と命名されたアルバムがリリースされ評判となりますが、発売後まったく活動が行われず、幻のバンドとなります。それから数年が経った2005年に2ndアルバム「THE BAND HAS NO NAME Ⅱ」をリリースし夏フェスに多数参戦しました。
1991年にミュージシャンのダイヤモンド・ユカイさんのソロデビューにギタリストとして参加しました。ここから本格的にプロデューサー・ギタリストとして活動を始めます。
1994年ツイスト時代の盟友・鮫島秀樹さんらと「SONS OF BLUES」を結成しました。
2006年に奥田民生さんらを迎えたソロアルバム「Slidin Slippin’」を発表します。
またツイスト加入前に在籍していたバンド「アイドルワイルド・サウス」の真髄と魅力が大いに発揮された初のライブアルバムが結成後49年目にしてオリジナルメンバーの監修により2023年6月に発売されました。
スライド奏法の第一人者として現在も音楽活動を続けています。
神本宗幸さん

プロデビュー前からのツイストのメンバーで、世良公則さんの本当の盟友と言える、キーボード神本宗幸さんの様子です。
ツイスト時代はふさふさのアフロヘアーでしたが、現在は短髪ですね。
解散後は「オフコース」のサポートミュージシャンをやっていたこともあったようです。
2001年9月に世良公則さん、野村義男さんらとともに「GUILD 9」を結成しました。
盟友である世良公則さんのライブにたびたび出演し息の合った共演を聴かせており、世良公則さんが様々なゲストを迎えて開催しているライブ「KNOCK KNOCK」にも毎年出演しています。2025年も開催が決まっていますので楽しみです。
太刀川紳一さん

ギター太刀川紳一さんの様子です。
1979年にツイストを脱退後はミュージシャンのバックなどの時期もありましたが、現在の活動についてはネット情報もなく、探すことができませんでした。
最後に
昭和の時代を代表するロックバンドであるツイスト、また、俳優としてもバンドヴォーカルとしても、昭和の大スターである世良公則さんらについて調べてみました。
現在の様子を見ると個性的なメンバーであったと思われます。今でも、ヒット曲を耳にすることもあります。僕は当時を直接知る世代ですが、今聞いても、古臭さは感じられず、当時を知らない世代でも、気に入る楽曲が多いのではないでしょうか。
メンバーは年を重ねますが、楽曲はそのまま残ります。メンバーの活躍を祈りながら、楽曲を楽しみたいと思います。