名バイプレーヤー松重豊さん - 貴重な主役を演じる孤独のグルメを降板? 私生活に問題があるのか?

 遅咲きの名バイプレーヤーである俳優の松重豊さん。
 松重豊さんと言えば、「孤独のグルメ」を思い出す人も多いと思います。しかし、この「孤独のグルメ」降板の噂があるようです。一体何があったのでしょうか?
 また、松重豊さんは一時期俳優業から離れていた時期もあったようです。
 そこで、これらの噂や俳優になった家庭、お嫁さんやお子さんなど松重豊さんについて調べてみました。

 松重豊さんは、1963年1月19日生まれ、福岡県福岡市のご出身です。
 松重豊さんは、明治大学在学中の1983年から演劇活動を始めて、三谷幸喜さんが主宰する東京サンシャインボーイズを経て、蜷川幸雄さん主催の劇団「蜷川スタジオ」で活動しました。
 その後、1992年頃からテレビドラマのバイプレーヤーとして活躍し、たくさんの作品に出演されます。ただ主演作はほとんどなかったようです。
 そうは言ってもあの高い身長は、群衆の中でもひときわ目立ちます。演技力とも合わせて、当時から存在感はありました。

 現在、松重豊さんの代名詞ともなり、ライフワークともなっているドラマがあります。2012年放送開始の「孤独のグルメ」が初主演にして大ヒットしています。
 面白いことに、ご自身はなんで自分が食べているだけのこの番組がそんなに受けたのか、よくわからないそうです。「深夜に雰囲気のいいお店で美味しそうな料理を、おじさんがおいしそうに食べる。」我々視聴者からすれば、十分にヒットの予感がします。実は、テレビで見るような大食漢ではないそうです。人気の陰に、出演俳優の熱演あり、というところでしょう。

 その後、同じテレビ東京で、「バイプレーヤーズ」や「きょうの猫村さん」など、主演作品が増えており、今ではドラマの常連となりました。低い声でボソボソと話す松重豊さんの存在感は、他に類を見ません。

 近い将来、テレビ東京の社屋に銅像が建つのではないかと冗談交じりに言われている松重豊さん。2022年の大みそかに6年連続で放送されたのが、「孤独のグルメ2022大晦日スペシャル」です。以前放送されていた「孤独のグルメSeason10」から続く特番として放送されました。
 ご存じの通り、松重豊さん扮する姿勢のいいオッサンがおいしそうに飯を食べるだけのドラマで、ドラマは基本的にモノローグ(心のつぶやき)のみで進行する超低予算ドラマです。ちなみにドラマの制作費は1本200万円弱と言われています。松重豊さんのギャラは30万円だというから驚きです。
 事情通に聞く内情は、ギャラの残りの製作費が「金を生む鶏」なのだそうです。DVDは数千万円、しかも、韓国に制作権を売って数億円の純益が入っているそうです。その結果、松重豊さんは韓国国内では誰でも知っている「日本人のオジサン」になりました。さらに世界配信で数億円の利益が出ていると言われています。
 松重豊さんサイドは、つい最近までこのカラクリを知らされておらず、あとで合計利益額を聞いて腰を抜かしていたそうです。わざわざGP帯に移してCMを集めなくても、利益を生み出す構造がしっかりと構築されている非常に稀有なドラマと言えます。

 ところが、そんな「孤独のグルメ」に番組始まって以来の危機が訪れていると言います。
 松重豊さんが食べられなくなってきたのだそうです。「最近はやたらと胃がもたれて食欲がどんどん落ちている。食べられない松重は井之頭ではないですから。」と番組制作関係者は語っています。
 現在、テレビ東京内では松重豊さんの処遇をめぐり、話し合いが行われているといいます。降板か、あるいは「孤独のグルメ」終了という議論も始まっているそうです。
 おそらく松重豊さんの代わりに誰か代役を立てることになるだろうと予想されています。ここだけの話、有力視されているのが、テレビ朝日系ドラマ「相棒」で伊丹刑事を演じる川原和久さんです。60歳ながら大食漢で有名だと言います。

 今大活躍されている松重豊さんは、一度俳優業から離れていた時期があるそうです。
 松重豊さんは、大学を卒業した1986年に蜷川幸雄さんが主宰の劇団「ニナガワ・スタジオ」に入団しましたが、1989年に退団しています。
 今では、蜷川幸雄さんから受けた教えは「演劇に関しては神様みたい。あの人に教わった方程式が頭の中に叩き込まれているんで、何か問題解けば色んなお芝居に応用できる。」と語っています。
 しかし当時は「本当に根性がないんで、すぐにやめたくなるんです。蜷川幸雄っていう怖い演出家の下で劇団に入っていたんで、逃げ出して現場で作業員をしていたことがある。」としています。
 ちょうど世間は、バブルの頃だから、仕事はあったと言います。「作業員としての身分は、実入りも良かったし。高いところに上ればそれだけお金になった。」と語っています。
 現場の仕事は「金になって結構休めるんですよ。で、1カ月くらい休みになった時に勝村政信くんから芝居しない?って聞かれてやった。」と語るように同僚の誘いがきっかけで俳優の世界に復帰したと言います。
 その後、建築現場の仕事は「転落事故が起きちゃって、やめなきゃいけなくなった。」と述べていますが、今度は「石屋とか、建設現場で働き続けた。」と述べています。
 外壁に石を貼る仕事で、その時手掛けたのが「都庁とかランドマークタワーとか、早稲田のリーガロイヤルホテル」と明かしています。
 特に、横浜市営地下鉄のセンター北駅の男子トイレの中の棚の石は思い出があるようで「用がなくても下車して、『ああこいつはまだ頑張って貼れているな』って確認したりはします。僕らの仕事は目の前に具体的に残るものじゃないんで、俺の作品だって」と当時を振り返っています。

 松重豊さんの家族構成はどうなっているのでしょうか。
 まず、奥様はどんな方なのでしょうか。
 松重豊さんは、1989年、26歳の時に結婚しているようです。35年前になります。しかも、結婚される前も、19歳の時からお付き合いをされていたのだそうです。大学時代に飲み会で知り合い、それからずっと一緒にいると言うことなので、上京してわりとすぐに出会って、それからずっと一緒におられるようです。
 奥様については、トーク番組などでたまに語られるくらいで、職業や年齢など、多くの情報はありません。
 そのトーク番組での松重豊さんのコメントから、二人の関係性は伝わってきます。
 「熟年離婚などは、自分たちの間にはないと思う。」、「これからも互いに健康で支え合って行きたい。」、「最近では、畑を買って一緒に野菜を育てていて、そういう生活が幸せ。」など、すごく円満で、落ち着いた夫婦仲であることが伝わってきます。
 十代の頃から一緒に居たから、ずっと順風満帆と言うわけではなかったかもしれませんが、どんな時も支え合って二人で歩いて来たのだということは、容易に想像できます。

 松重豊さんには、娘さんと息子さんの二人のお子さんがいます。どちらも成人して社会に出て働いているようです。
 娘さんは映像関係の会社に勤めているようですが、詳しい情報は見つかりませんでした。

 息子さんは、TBSラジオのADをしているとのことです。有名な俳優の息子さんが放送関係のお仕事をされているというと、コネかな?とつい思ってしまいますが、コネではないようです。
 息子さんの松重暢洋さんは、立教大学映像身体学科在学中に、映像制作に興味を持ち、YouTubeの同好会を立ち上げました。しかし、次第に仲間たちとの方向性に相違が出てきたこと、二歳上のお姉さんが映像関係の会社に就職して大変そうだったことから、就職活動では、映像関係の仕事はしたくないと思ったそうです。

 松重豊さんの私生活について調べてみましたが、同世代の役者さんに見られるような、派手で破天荒なエピソードは見受けられませんでした。松重豊さんはとても真面目で堅実な方なのだろうと想像できます。
 これからの松重豊さんには、さらなるご活躍を期待したいと思います。

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