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はじめに:クチン駐在の日々と、コタキナバルへの翼
1990年代の3年間、私の人生の中で最も鮮やかな記憶として残っているのが、サラワク州クチンでの駐在生活です。当時はマレーシア全体が活気に満ちあふれ、クチンの街並みも日々変化していました。
そんな駐在生活の中で、出張や家族旅行で何度も足を運んだのがサバ州の州都、コタキナバル(KK)です。クチンと同じボルネオ島にありながら、どこか違う洗練されたリゾートの空気。今回は、生後すぐに同行した娘と共に過ごした日々を振り返りながら、当時のコタキナバルの魅力と、現在の姿について綴りたいと思います。
一人の出張、街の象徴「ハイアット・リージェンシー」
仕事での単身出張の際、定宿にしていたのは街の中心部に位置するハイアット・リージェンシー・キナバルでした。
今でも鮮明に覚えているのは、建物の中に一歩足を踏み入れた瞬間の開放感。大きな吹き抜けのロビーは、南国の熱気をすっと和らげてくれるような贅沢な空間でした。当時のコタキナバルで「町中の高級ホテル」といえば、誰もがここを真っ先に挙げたものです。
ホテルのすぐ裏手には「セントラルマーケット」や海沿いのプロムナードがあり、仕事終わりに波音を聞きながら歩くのが楽しみでした。機能的でありながら、どこかゆったりとした時間が流れていたあの吹き抜けのロビーは、今でも私の「出張の記憶」と強く結びついています。
幼い娘と過ごした「シャングリ・ラ タンジュンアル」の庭
家族との時間は、一転してビーチリゾートへ。当時の娘は、まだよちよち歩きから少し大きくなった盛り。そんな幼児を連れての滞在で最高だったのが、シャングリ・ラ タンジュンアル ビリゾートでした。
私たちが泊まったのは、1階の部屋。**「部屋からそのまま庭(ビーチ)に出られる」**という造りは、小さな子供連れにはこの上ない贅沢でした。ベランダのドアを開ければ、そこには手入れの行き届いた緑の芝生が広がり、その先には南シナ海の青い海。
娘が裸足で芝生を駆け回り、私たちはそれを見守りながらサンセットを待つ。タンジュンアルの夕日は「世界三大夕日」の一つに数えられますが、あの時、部屋のすぐ前から見たオレンジ色の空は、今も家族の大切な宝物です。
グルメの記憶:クチンを凌ぐ日本食と、驚きの「高原レタス」
コタキナバルへ行く楽しみの一つが、実は「食」でした。駐在地だったクチンも食べ物は美味しかったのですが、コタキナバルはさらにその上を行く印象がありました。
- 鮮度抜群の日本食: 驚いたのは日本食のレベルです。特に刺し身。当時は今ほど物流が発達していませんでしたが、それでもコタキナバルで食べる魚の鮮度は素晴らしく、クチンで食べるよりも数段美味しく感じたのを覚えています。
- 海鮮中華のダイナミズム: もちろん、一番の楽しみは海鮮中華です。大きな水槽から好きな魚やエビを選び、スチームやバタープロン(海老のバター炒め)にしてもらう。あの活気と味の濃さは、まさにサバ州ならではの醍醐味でした。
- キナバル山の恵み「高原レタス」: そして、意外な発見だったのが野菜です。地元の方から「コタキナバルには美味しいレタスがあるんだよ」と教えられ、半信半疑で食べて驚きました。東南アジアの生野菜は少し不安があった時代ですが、キナバル山の麓、クンダサンなどの高地で栽培されるレタスはシャキシャキとして甘く、高原野菜の質の高さに感動したものです。
【現在の状況】 ちなみに、この高原野菜は現在も健在です。今では「クンダサン野菜市場」は観光名所となっており、マレーシア全土に新鮮なキャベツやレタスが供給されています。
プレオープンから名門へ:成長したリゾートたち
当時、仕事の合間に目にしたのは、建設中やプレオープン直後の新しいリゾートホテルたちでした。
- ステラハーバー・リゾート: 町からすぐの広大な埋め立て地に、巨大なゴルフ場とホテルが姿を現した時の衝撃は忘れられません。当時はまだ完成しきっていない部分もありましたが、今や「パシフィック・ステラ」「マゼラン・ステラ」として、コタキナバルを代表する一大拠点になっています。
- シャングリ・ラ ラサリア / ネクサス: 少し足を伸ばした先のカランブナイ地区でも、自然と調和した豪華なゴルフリゾートが産声を上げていました。
当時は「こんなにたくさんのホテルができて大丈夫だろうか?」と思ったものですが、今ではそれらすべてが名門として定着し、世界中からゴルファーや家族連れを集めています。
結びに:時を超えて繋がるボルネオの記憶
娘も、今では立派な大人になりました。クチンでの3年間、そしてコタキナバルへの家族旅行。彼女の記憶の片隅に、あのタンジュンアルの芝生の感触や、南国の風の匂いが残っていることを願ってやみません。
今のコタキナバルは、当時よりもさらに洗練され、LCCの就航などでずっと身近な存在になりました。それでも、あの頃私たちが感じた「発展していくエネルギー」と「変わらない海の美しさ」は、今もこの街の根底に流れているはずです。
いつかまた、成長した娘と一緒に、あの吹き抜けのハイアットで、あるいはタンジュンアルの夕日を眺めながら、当時の思い出話を肴に冷えたビールを飲みたい。そんな夢を抱きながら、この日記を締めくくります。